「安倍氏殺害は間違い」という報道の致命的な曲解。教団と政治の癒着を追及せず、山上被告の「動機のストーリー化」に固執する『報道ステーション』の矛盾
連載「鈴木エイトが読む、日本社会の“静かな違和感”」。第7回は、安倍元首相の銃撃事件から4年を迎えた報道のあり方に潜む「歪み」を検証する。遺族の悲しみや山上徹也被告の「動機の複雑さ」ばかりが強調される追悼報道。しかし、事件の根本原因である「カルト被害の放置と政治の機能不全」という構造問題の検証は、メディアの関心から不自然に外されつつある。
特にテレビ朝日『報道ステーション』が「独自」と銘打って報じた手紙や面会内容の限界を指摘。山上被告が語った「安倍元総理が亡くならなければならなかった(=安倍氏が教団に関与した)状況が間違いだった」という本意を、メディアが「殺害した行為そのものが間違い(反省・謝罪)」と都合よくすり替えて報じた構造を明らかにする。政界と教団の関係を無視し、被告のパーソナリティにのみ執着してスクープを競う報道番組のプライドと劣化。事件の背景にある社会問題の矮小化に繋がるメディアの病理を、エイト氏が自らの面会取材を通して冷徹に解き明かす。
目次
「背景なき追悼報道」への違和感。メディアが再び放置するカルトと政界の癒着
今回は、安倍元首相銃撃事件から4年を迎えた報道への違和感について記してみたい。
私は毎年、安倍晋三元首相の命日に銃撃現場である近鉄・大和西大寺駅前に足を運んでいる。今年も自民党系の地方議員を中心とした有志によって献花台が設けられ、1000人以上の人が献花に訪れた。私にとっては、追及対象だった政治家が命を落とした場であり、自分の記事を読んでいた統一教会の被害者が犯罪者となった場所でもある。それだけに同じような悲劇を繰り返してはならないという思いを新たにするため毎年、この日は事件現場に身を置くことを自分自身に課している。
もちろん、命日の事件現場は故人を悼む場であり、献花台を設置した人々、献花に訪れた人の思いを最優先にすべきだと思っている。
気になったのは報道である。今年も7月8日やその前に節目の報道がなされたが、数社のメディアが遺族の安倍昭恵氏のインタビュー記事を報じていた。もちろん、最愛の夫を亡くした遺族の気持ちをメインのテーマとするのは報道の手法としてあり得る形である。だが、この事件はカルト問題の被害者が放置された挙句、自力救済的に起こしたものでもある。背景には司法・行政・立法という民主主義が機能不全に陥り、問題解決に尽力すべき政治家が選挙協力などと引き換えにカルト教団の体制保護に加担し、被害が拡大したという事実があり、メディアもニュースバリューが低いとして長年放置してきたことも遠因となっている。そういった背景の問題を検証しないまま、遺族の悲しみのみに焦点を当てた報道はバランスが取れていないと感じた。
「独自」と銘打つ報道の形骸化。法廷の焼き直しに終始した『報道ステーション』への違和感
様々な報道がなされたなかで、私が最も違和感を抱いたのが7月8日夜の『報道ステーション』だった。
この日の報ステでは『独自 安倍氏銃撃から4年 被告の手紙 一言で表せない"絡み合う動機"』と題したVTRが流れた。VTR自体は同日夕方の朝日放送で報じたものと同じだという。朝日放送の司法担当記者でテレビ朝日のディレクターを兼任する山崎成葉氏が7月6日に大阪拘置所で山上徹也被告と面会したときの内容や弁護団を通して入手した被告からの手紙が紹介されていた。
だが、その内容は法廷で展開されたやり取り以上の新たなものはなく、「独自」と銘打つには乏しいものだった。
私は、5月に講談社から発刊した新刊『アンビバレント 山上徹也が私だけに明かした謎の核心』において、法廷で山上被告が語っていなかった、また語っていたのにすべてのメディアが曲解した動機の核心について記した。そこでは山崎成葉氏が判決公判の夜の『報道ステーション』に生出演して、話していたことにも触れた。要は、弁護団に密着取材を行い、最も核心に迫ることができたはずの『報道ステーション』が動機の核心に気付いていなかったことを指摘した格好となった。