自分の金を1ドルも使わずに船を買う…海運王オナシスが確立した「他人の信用」を組み込む財務戦略

大恐慌下の安値買いから、他人の信用を使った資金調達、そして世界で最も有名な未亡人との結婚まで。海運王オナシスの生涯は「常識」への疑問と破壊の連続だった。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏が、ゼロから業界の常識をひっくり返していった男の「型を持たない強さ」の正体に迫る。
みんかぶプレミアム連載「一握りの大富豪だけが知っている世界の真実」
誰も船を欲しがらない時代に動く 1隻3775ポンドで仕入れたオナシスの原点
1933年、世界は大恐慌の中にいた。貿易は縮み、海運業も冷え込んでいた。そんな時代に、27歳のアリストテレス・オナシスは船を買った。よく知られた伝説では「カナダ国鉄の6隻を1隻2万ドルで買った」とされる。確認できる史実は少し違う。1933年、彼がカナディアン・スチームシップ社から買ったのは貨物船2隻で、価格は1隻3,775ポンドだった。それでも話の本質は変わらない。誰も船を欲しがらない時に、彼は船を買ったのである。
安く買え、とは誰でも言える。現実には、安いものを買うのは難しい。値段が落ちている時には、必ずもっともらしい理由が並ぶ。景気が悪い。荷物がない。会社が潰れている。全部、本当である。だから皆が売る。オナシスが見たのは、その理由が永遠に続くのかという一点だった。恐慌が終われば貿易は戻る。船を急に増やすことはできない。ならば暴落した価格と将来の価値は同じではない。
ギリシャ人船主で初のタンカー進出 将来の石油需要を捉えた事業展開
ここで彼を助けたものがある。伝統がなかったことだ。オナシス家は海運の名門ではない。1922年、16歳の彼は故郷スミルナの炎上で財産と生活基盤を失い、翌年アルゼンチンへ渡った。伝統的なギリシャ船主社会では「外から来た人間」だった。普通なら弱点である。オナシスには、これが自由の源泉となった。
1938年、オナシスはスウェーデンで1万5,000トン級タンカー「アリストン」を建造した。オナシス財団は、彼をタンカーに進出した最初のギリシャ人船主としている。従来のギリシャ船主が貨物船を中心にしていた中で、彼は石油輸送へ入った。これから石油需要が伸びると読んだからである。「うちは昔からこうしてきた」という言葉は、歴史の長い業界では強い。オナシスには、それを守る義務がなかった。先祖の商売を守る必要もない。昨日まで存在しなかった方法でも、利益が出るなら使えばいい。守るべき伝統がない。それが彼の武器になったわけだ。
戦後、オナシスは米国の金融市場に深く入っていった。海運史研究者Gelina Harlaftisは、オナシスが米国金融を船舶投資に結び付けた過程を詳しく分析している。仕組みは難しくない。まず石油会社から長期の用船契約を取る。「このタンカーが完成したら長期間借ります」という約束である。次に、その契約を銀行へ持っていく。船はまだ完成していない。それでも銀行には、完成後に石油会社から入る金が見える。その将来収入を土台に資金を借り、その金でタンカーを造る。完成した時には、すでに客がいる。
「自分の金を1ドルも使わない」という発想 手元資金で船を買う思考からの脱却
オナシスは、自分の金だけで船を買う発想を捨てた。最初のタンカー「アリストン」では自己資金も入れている。建造費の大部分は造船所からの長期融資で賄った。そして後年、彼には「船を造るのに自分の金を1ドルすら使わなかった」という伝説まで生まれた。
石油会社との長期契約を取り、その将来収入を銀行に見せ、建造資金を引き出す。造船所が船を造り、銀行が金を出し、石油会社が将来の収入を支える。そして最後に船を持つのはオナシスである。「自分の金を1ドルも使わない」という言葉は誇張だったとしても、その発想は本物だった。金持ちになる前から、金持ちの金の使い方をしていた。これこそが彼にとって唯一の金持ちへの道ということだ。
大きくなった後のオナシスは、この方法をさらに巨大化させた。自分の手元資金だけで船を増やさない。石油会社の契約、銀行の融資、造船所の信用を組み合わせる。船を「持つ人」と、船の代金を「現金で全部払う人」は同じでなくていい。Citiの金融史にも、1948年にオナシスの大型タンカー建造へ融資した記録が残る。長期用船契約は15~20年に及ぶこともあった。