第四十話「例のモノ」連載小説「奪われるースパイ天国・日本の敗戦ー」
スパイ防止法がないこの“天国”・日本で、知らない間に国が「奪われる」──。
表向きの歴史やニュースの裏側に潜む、冷酷な国際諜報戦と、個人の運命が国家間の巨大な陰謀に巻き込まれていく壮大な安全保障サスペンス小説、ここに爆誕。
舞台は、女性初の内閣総理大臣・高地きみえが熱狂的な支持を背景に「強い日本」を目指す日本。彼女は長年の懸案である日本人拉致被害者の奪還を決意し、極秘裏に北朝鮮の金正恩総書記との会談に臨む。しかし、その外交交渉の裏側では、すでに北朝鮮の体制に「影」が差し込み、巨大な隣国・中国の思惑が絡み合っていた。
第四十話「例のモノ」
車が高麗ホテルの駐車場に戻ると、今泉謙太郎と坂崎翔は安堵の表情を浮かべた。高層階へ向かうエレベーターの中で坂崎がささやいた。「今泉、君は命がけで日本を救ったな」。「いや、そんなことは・・・」。謙太郎はじっと坂崎の目を見ながら答えた。「ただ、李天佑さんがすごいだけですよ」。エレベーターが最上階で停まり、ドアが開いた。ロビーには意外な人物が立っていた。
「はじめまして」。そこには金正恩総書記の妹、金与正が微笑んでいた。「金与正・・・なぜここに?」。謙太郎が警戒して尋ねた。「李天佑同志から呼ばれて来ただけです」。彼女は親切そうな笑顔で続けた。「李同志から頼まれていたものを渡しにきたんです」。坂崎は謙太郎の腕を掴んだ。「李天佑が言っていた薬のことでは?」。なるほど、それを届けにきたというわけか。2人は納得した。
「例のモノはあるかね?」。李天佑が表情を変えずに金与正に聞いた。「はい、これです」。金与正は桐の箱から透明のビンをいくつか取り出した。それぞれに黄色の液体が入っている。「なんだ、あれは?」。不気味な色に坂崎は身の毛がよだつ気がした。
「さて、そろそろタネ明かしをするとしようか」。李天佑は、金与正から薬の箱をたしかに受け取ると、自信満々にこう言い切った。「いいか、今から驚くような話をするぞ」。李天佑は謙太郎と坂崎に向かって、ゆっくりと口を開いた。「この世には表と裏がある。そして我々がいるのは・・・裏側だ」。彼の視線は鋭く謙太郎を射抜いた。その黒い瞳に映るのは何かドス黒いものだった。