「日本の女を拉致して連れてこい」…男と女が罵り合う地獄・インド最悪の暗黒街カマティプラで見た、人身売買が横行する貧困の極み
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第17回――。
<前回までのあらすじ>
ムンバイの暗黒街カマティプラで、筆者はポン引きの群れに腕や首を掴まれ連れ去られそうになる。ようやく部屋にたどり着いても今度はポン引きが居座り、女性には二重に金を要求される始末。フォークランド・ストリートでは女性から顔にツバを吐きかけられた。だが、地獄はまだ終わっていなかった――。
世界一、執拗で、粘着的で、不気味なピンプ(ポン引き)
ムンバイの暗黒街はカマティプラにしろ、フォークランド・ストリートにしろ、女性たちの心も態度もこれまで経験したことがないほど荒れていた。多くの女性が、客を呼び込みながらも客を憎んでいた。
彼女たちは手荒な扱いをされており、やってくる男たちに罵倒を浴びせられたり、ときには殴られたりしているので、彼女たち自身もまた心が荒んでいき、もはやそこは男と女が罵り合う場のようになってしまっているのだった。
身の危険を感じることも多かった。
一番、治安が悪いと思ったのはカマティプラだ。ここは大勢のピンプ(ポン引き)が群れになってたむろしていて、私がそこにたどり着くと、大勢が必死の形相で押し寄せてきて、あっちこっちに引っ張り回した。
あるとき私は、ひとりのポン引きがどうしても私から離れようとしないので、「この男を引き離してやる」と意地になってしまった。私はひたすらカマティプラのエリアを歩いて歩いて歩き回って男をあきらめさせようとしたのだが、この男も必死になって私に食らいついてくる。
私が絶対にカネを払いたくないという意図は伝わっているはずだ。効率性を考えたら、他の客を探した方がいいに決まっている。にもかかわらず、この無精ヒゲを生やしたポン引きは絶対に私から離れようとしないのだった。
どんなに無視しても、横から絶え間なく、「俺を信じろ」とか「ナイスガールがいる」とかそんな営業トークをぶつぶつと言いながらついてくる。私が立ちどまるたびに男は目の前に立つ。私が立っている女性に目をやるたびに、視界に割り込んでくる。
ひたすら執拗で、粘着的で、不気味だった。
この男を引き離すのにも疲れて、一軒の崩れそうなビルの一階で営業しているカフェに入って長い時間そこに居た。この男はビルの外でじっと私を凝視していたのだが、さすがに1時間も私が出てこないと、男の姿は見えなくなった。
やれやれと思って私が店を出ると、男は道の反対側で私を見張っていて、また私にまとわりついてきたのだった。
こうなったら埒があかないので、私は全力疾走で知り合いの女性のいるビルに走って中に入った。すると、このポン引きは激怒して追いかけてきて、私が入った部屋のドアを開けて女性を殴りつけて追い出し、私を激しく罵りながら「マネー!」と怒鳴るのだった。
私も意地になっていたので「ノー」と返したら、男は拳を振り上げて何度も私を殴りつけようとした。そうしているうちに、ここを仕切っていた用心棒がやってきて、やっと男は追い出された。
それほどまで、しつこいポン引きがいるのがカマティプラだったのだ。
人の命が200円程度のエリア
この男が視界から消えて私はほっとしたのだが、気がつくと3時間以上も付きまとわれていた。だが、実はそれで終わりではなかったのだ。私がそのビルを出ると、そのポン引きは仲間を引き連れて私を待っていた。
私が身の危険を感じて客待ちをしているタクシーのところにまで走ると、男たちが追いかけてきて私をタクシーに乗らせまいと囲んだ。それを見て、タクシーの運転手は、何かヤバいことが起きていると察したのか、逃げてしまった。
殺気立った男たちに囲まれたら、どうしようもなかった。殺されるか、殴られるか、有り金をすべて持っていかれるのか……。カネで解決するなら、素直に財布ごと渡すつもりだった。
すると、このポン引きが殺意のこもった目で「カネを出せ!」と叫ぶので、私が「わかった、いくらだ?」と尋ねると、男は激しい口調でこう言った。
「100ルピー!」
私はあっけにとられて男を見つめたのだった。それは当時のレートで200円ほどの金額だった。たった200円で良かったのか。しかし、すぐに渡すともっと要求されると思った私は、渋るような演技をしつつ100ルピーを渡して解放してもらった。
たった200円で、私は死ぬ思いをした。このまま殺されていたら、私の命は200円程度だったことになる。