皇室を「唾液検査」の対象に引きずり下ろす“Y染色体論の暴走”と、自ら招き寄せた「詰み」の構造
皇位継承の議論において、伝統を科学で補強しようとした保守知識人の試みは、皇室を最も危険な場所へと押し出す結果となった。元プレジデント編集長でジャーナリストの小倉健一氏は、Y染色体を正統性の根拠にすえる論理が、必然的に「DNA鑑定の証明要求」という自滅的なジレンマを呼び込むと指摘する。英王室における遺骨研究の実例や、現代における生体セキュリティの脅威を引きながら、なぜ科学的資格条件へのすり替えが皇室の正統性を脅かすのか、その構造的欠陥を検証する。
みんかぶプレミアム連載「小倉健一の新保守宣言」
皇室を守るはずの「Y染色体論」が自ら正統性を揺るがすという本末転倒
皇室を守ろうとしてY染色体を持ち出した保守知識人は、皇室を最も危険な場所へ押し出した。伝統を科学で補強したつもりなのだろうが、実際に開いたのは、皇室の正統性をDNA鑑定にかける扉である。この議論は永久に葬った方がいい。
きっかけは、7月16日夜のBS-TBS「報道1930」で交わされた皇位継承をめぐる議論だった。参政党の神谷宗幣代表は、女性天皇の子では「遺伝子が変わる」という趣旨の説明をし、旧宮家の男系男子を養子として迎える案を重視した。これに対して辻元清美参院議員は、愛子内親王の子ではなぜ駄目なのかと問い、ついにはDNA検査をするのかという問題に踏み込んだ。
この場面では、辻元氏の問いの方が本質を突いている。男系男子による継承を支持することと、Y染色体を皇位の正統性の根拠にすることは、全く別の話だからである。Y染色体が通常、父から息子へ受け継がれること自体は生物学上の事実である。だが、それが示すのは、父、父方の祖父、そのまた父と続く、数多くの祖先のうち一本の系統にすぎない。人間の遺伝情報全体を表すものでもなければ、家族の実体を決めるものでもない。
米国立ヒトゲノム研究所の知見が示す「Y染色体は父系1本の追跡」という事実
子どもは父母双方から遺伝情報を受け継ぎ、世代ごとに新しい組み合わせを持つ。「女性天皇の子になると遺伝子が変わる」という説明は、家系上の男系と、生物学上の遺伝子を乱暴に混同している。米国立ヒトゲノム研究所も、人は父母からそれぞれ染色体を受け継ぎ、男性のY染色体は父から受け継がれると説明している。Y染色体で追跡できるのは全祖先の中の父系1本だけである。
しかし、科学的な説明の粗さ以上に深刻なのは、Y染色体論が必ず検証要求を呼び込むことだ。「神武天皇以来、同じY染色体が続いているから正統である」と主張するなら、当然、その事実を証明しなければならない。誰のY染色体を基準にするのか。歴代天皇の父子関係を何によって確認するのか。系図とDNAが食い違ったときは、どちらを正しいとするのか。検査を拒否した場合、それでもY染色体を正統性の根拠にできるのか。
この問いは、反皇室的な人間が無理に持ち込むものではない。Y染色体論者が自分の論理によって招き入れる問いである。正統性の根拠を検査可能な物質に置けば、検査を求める者が現れるのは当然だ。