「顔」の美しさは取り繕うことができるが、「貌」の美しさは人そのものが顕れる、その美は誤魔化せない…『羽生結弦をめぐるプロポ』

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羽生結弦をめぐるプロポ 第4回「貌」
「プロポ」とは『幸福論』で知られるフランスの作家アラン(1868-1951)の創り出した詩的文学の形式である。自由に、自然に、私の想うままに目を閉じて、私のままに書く。始まりから終わりまで水の流れのように「流れるままに」書く。
私は羽生結弦という存在を――まさしく自由に、自然に、想うままに、私のままに滑るプロ転向後の羽生結弦とアランの「プロポ」とを重ねていた。だからいつか、羽生結弦をめぐる「プロポ」を、私のままに書こうと思っていた。
理屈ではなく、あるがままに、恥ずかしいとか、どう思われるだろうかでなく、自分の心だけを見て、羽生結弦だけを見て、てらいなく綴る。
思うがままに、捉えたものを、そのままに。
羽生結弦のプロ転向から二年、私はその想いをプロポとして、綴ろう。
6.貌 ――「美しい」とは羽生結弦の「貌」にある
羽生結弦は美しい。