共に歩む――「頑張れるまで頑張って、みんなで」羽生結弦とコスモポリタニズム(2)

目次
「善きこと」として
羽生結弦はフィギュアスケートを通して被災地の人々やその先の命と人の大切さ、希望という名の弧を描く。
私たちはそれを享受し、心を共にし、それを自分の周辺や社会に「善きこと」としてフィードバックする。
これこそ「コスモポリタニズム」である。
宇宙という私たち、それぞれにある「私」の尊さをとその価値である。
それはアイスストーリーとするなら「僕」や「VGH-257 Nova」の叫びか、その矜持に集う私たち宇宙市民の、羽生結弦と共に歩み続ける連帯か。
その連帯こそ私の大好きな、私自身もその中にありたいと願う羽生結弦と共にある私たちの宇宙である。
現代哲学を代表する思想家のひとり、クワメ・アンソニー・アッピアの宇宙市民主義、コスモポリタニズム論から、もう少し思索を拡げよう。
これこそ「羽生結弦文化圏」
アッピアは「コスモポリタニズム」についてこう書いている。
〈私たちは、身内であったり同族であったり、より形式的な場合には市民としての権利を共有することであったり、さまざまな絆を通じて人々と関係している。しかし、私たちが他者たちに対して負う義務は、これらのローカルな絆を遥かに越えて広がっていく。そんな考え方である〉
私たちが羽生結弦のフィギュアスケートを、氷上の生き様(よう)を、各地の被災者や苦しむ人々への厚志を支えることはまさに「絆」であろう。
そして、それは私たちもまた社会において羽生結弦という存在が「絆を遥かに越えて広がっていく」ことを実践している。
これこそ「羽生結弦文化圏」に思う。
それを受け取った者が自分の為し得る限りの何をするか、自分を愛することのみならず、他者を思いやること、尊重すること、ときに寄り添い、それこそ自分の為し得る限りに助くことーー良質な文化芸術とは、その享受の先がある。
それを文学では「社会性」と呼ぶ。
作品にとどまらず、視聴という消費にとどまらない人の世に影響を与える。羽生結弦のアイスストーリーが、まさにそうであるように。