在宅Webライターで月収60万円を叶えるための行動力 2児のママであり元体育教員のしゅり氏が辿り着いた「稼ぐ執念から逆算する仕事術」とは

「未経験からWebライターで稼ぐのはもう遅い、AIに奪われる仕事だ」――そんな常識を軽やかに覆し、未経験から始めてわずか2年で月収60万円という驚異的な実績を築き上げた人物がいる。フリーランスのWebライターとして活動するしゅり氏だ。同氏は、正しい戦略と圧倒的な行動量さえあれば、子育て中のママであっても在宅で企業の信頼を勝ち取り、大きく稼ぐことができると語る。本稿では、家事や育児に追われながらも自分の人生の主導権を取り戻すための「高収入ライター」戦略をしゅり氏が徹底解説。大学時代のアルバイトで培った「稼ぐ楽しさ」の原点から、安定した教員を辞める契機となった「母の病気」と「育児」のリアル、そして複数の副業での挫折を経て特化ブログで手にした「初の500円」の重みまで、その突き抜けるためのロードマップを語っていただいた。全4回の第1回。
みんかぶプレミアム連載「フリーランスの稼ぎ方大全」
目次
すべては「ビールの売り子」から始まった。私の内に眠る「稼ぐ執念」の原点
私は現在、フリーランスのWebライターとして、企業のホームページコンテンツやSEO記事などの執筆をしています。Web業界未経験からスタートして、2年で月収60万円を達成しましたが、最初から順風満帆だったわけではありません。私の行動力や「自分で稼ぎたい」という強い気持ちの原点は、大学時代の4年間にあります。
当時、私は野球場でビールの売り子のアルバイトをしていました。給料は基本給プラス歩合制。売れば売るほど自分の収入になり、毎試合、売り子たちの売上順位が発表されました。私は常に1位や2位の座を激しく争う立ち位置にいて、自分で行動した分だけ成果として返ってくるこの世界が、たまらなく楽しいと感じていました。
どうすれば効率よく売れるかを必死に考え、最高で月に50万円ほど稼いだこともあります。この経験を通じて「自分の力でお金を稼ぐ楽しさ」を心の底から知ってしまったのだと思います。
安定した教員の道を捨て、在宅ワークを模索した「母の病」と「育児」
その後、元々の夢だった学校の教員になり、5年間(中高一貫校で1年、小学校で4年)体育の教員として勤務しました。仕事には大きなやりがいを感じていましたし、決して不満があったわけではありません。しかし、25歳で結婚し、27歳で教員を辞める決断をしました。体育教員としての働き方と、これから迎える自分のライフステージとの両立に難しさを感じたからです。
教員を辞めた後は、第一子を出産し、スターバックスでパート勤務を始めました。夫は「無理に働かなくてもいいよ」と言っていましたし、専業主婦でも生活はできました。しかし私の性格上、どうしても「自分の力で稼ぎたい」という欲求を抑えられませんでした。
そんな中、私の人生を大きく変える転機が訪れます。スターバックスで働き始めてしばらくした頃、実母の膵臓癌が発覚したのです。さらに当時はコロナ禍。気軽に外に働きに行けない環境と、「母の病気」と「育児」という2つの出来事が同時に起きたとき、私は「週に何日、何時間シフトに入る」という固定された働き方の限界を痛感しました。
「母の通院や、やりたいと思うことにはすべて付き添ってあげたい。子どもとの時間も大切にしたい。だけど、自分の仕事を持ってしっかり稼ぎたい」
そう強く願ったとき、場所や時間に縛られずに働ける「在宅ワーク」という生き方しか選択肢にないと確信しました。自分が後から絶対に後悔しない選択をするために、私は在宅で稼げる道を本気で模索し始めたのです。
YouTubeの挫折と雑記ブログの失敗。2〜3年の「稼げない下積み」がくれた財産
在宅ワークを目指したものの、当時の私は自分専用のパソコンすら持っていませんでした。そこで、まずはスマートフォン1台で始められる、YouTubeの投稿に挑戦しました。顔出しはせず、息子の手元を映し、車のおもちゃを使ったキッズ向けの動画を、半年間毎日欠かさず撮影・編集して投稿し続けたのです。
結果は惨敗。半年間必死に継続したにもかかわらず、収益化の条件を達成できずに断念することになりました。今振り返れば、この時は動画のジャンル選定や戦略が甘かったのだと思います。
しかし、ここで諦める私ではありません。次こそは!と一念発起し、ようやくパソコンを購入してブログ運営を始めることにしました。
最初に始めたのは、子どもの成長を記録するようなブログでした。いわゆる「雑記ブログ」と呼ばれる日常のことを書く日記のようなブログでしたが、書く習慣をつけるために1年以上、毎日継続して更新し続けました。
ブログの結果も惨敗。芸能人でもない一般人の日常ブログを熱心に見に来てくれる人などおらず、売上はゼロでした。
「ただ闇雲に日常を書き連ねていても、ビジネスとしては1円も稼げない」
その厳しい現実に気づき、私は特定のテーマに絞った「特化ブログ」へと運営方針を大きく切り替えました。
特化ブログからライターへ。2年で月収60万を達成した「リアルな金額推移」の全貌
私は、特化ブログを始めてからも行動し続けました。YouTubeやネットの情報を貪るように調べ、Webサイトを作れるWordPressの使い方を覚え、どうすればGoogleの検索エンジンに評価されるのかを必死に学びました。そして運営を始めて半年が経った頃、ようやく「500円」の初収益が発生したのです。
金額としてはわずか500円でしたが、あのときの喜びは今でも忘れられません。その後、特化ブログだけではなく、物販やInstagram、ハンドメイドなど などにも手を広げて稼ごうと並行して挑戦しましたが、泣かず飛ばずの結果となりました。最終的に稼げるようになったのはブログと物販で、月10~20万円ほどの収益を上げられるまでになりました。ここまで稼げるようになるまで、実に2~3年かかりました。
この期間は、世間一般から見れば「割に合わない下積み時代」かもしれません。しかし、私にとってはWebマーケティングの基礎やライティングを身につけるための、かけがえのない修業期間でした。
こうしてブログで成果を出せるようになった私ですが、ブログ心の中には「もっと確実に、もっと大きく稼ぎたい」という次なる炎が燃え上がっていました。「ブログの経験を何か生かせるのではないか」と調べていくうちに出会ったのが、文字を書いて確実に報酬をいただける「Webライター」という職業だったのです。
私が本格的にライターとしての第一歩を踏み出したのは、2022年12月末のことでした。そこからの私の収入の推移は、自分でも驚くほどのスピードでした。
- 2023年1月:月収10万円
- 2023年6月:月収20万円
- 2024年2月:月収25万円
- 2024年7月:月収30万円
- 2024年8月:月収40万円
- 2024年10月:月収60万円達成
活動開始からわずか2年で、月収60万円の大台を突破することができました。特別な才能があったわけではありません。ただ「稼ぐ」ということに対して、誰よりも貪欲に、誰よりも泥臭く行動し続けた結果が、この数字に繋がったのだと確信しています。