「離職率370パーセント」という工場の出血を止める緊急措置……「労働者への恩恵」の裏でフォードが完遂した、家庭生活そのものを工場の評価基準に組み込む統制ロジック
他社の2倍となる「1日5ドル」の破格の賃金を打ち出し、当時は資本主義の良心と絶賛されたヘンリー・フォード。しかしその待遇の裏側には、高離職率という構造的欠陥を埋めるための計算と、労働者の私生活までをも統制しようとする強烈な支配欲が隠されていた。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏は、労働者の家庭内や精神にまで踏み込んだフォード式管理社会の実態と、成功体験に固執した独裁者が迎えた帝国の幕引きを検証する。
みんかぶプレミアム連載「一握りの大富豪だけが知っている世界の真実」
目次
他社の2倍、1日5ドルの支給が惹きつけた「1万人の求職者」
1914年1月5日、ヘンリー・フォードと副社長ジェームズ・クーゼンズは、労働者に1日5ドルを支払うと発表した。それまでの賃金は9時間労働で2.34ドル。それが一気に8時間労働で5ドルになるという。他の自動車会社で稼げる額の2倍という破格の条件に、翌日には1万人の求職者が凍てつく工場の門に押し寄せた。
世間はこれを、労働者への恩恵として、あるいは資本主義の良心として絶賛した。だが、この物語を単なる美談として終わらせてしまうと、フォードという男の支配欲の本質を見誤ることになる。
まず、この「5ドル」という数字そのものが、単純な昇給ではない。旧賃金2.34ドルの労働者であれば、基本給はそのまま据え置かれ、会社が定めた「一定の条件」を満たした場合にのみ、2.66ドルのボーナスが上乗せされるという複雑な仕組みだった。基本給と、会社の厳しい審査を通過した者だけに与えられる「利益分配」という、二層構造の中に労働者は組み込まれていた。彼が配ったのは無条件の贈り物ではなく、極めて厳格な条件つきの誘惑だったのである。
「ひとつの動作の繰り返し」が引き起こした遅刻・欠勤…相次ぐ退職
なぜフォードは、ここまでの巨額を急遽用意する必要があったのか。答えは「離職率」にある。前回の記事で触れた通り、フォードは工程を極小の単位に分解し、労働者を「ひとつの動作を繰り返す生きた機械部品」へと変えた。その組立ラインの単調さとスピードの強要は、人間の心を確実にすり減らした。遅刻、欠勤、退職が相次ぎ、1913年の離職率は実に370パーセントに達していた。平均的な従業員が1年のうちに何度も入れ替わっていた絶望的な数字だ。フォードは1万3000のポストを維持するために、1年で5万人以上を雇い続けなければならなかった。
完璧に効率化されたはずの巨大な工場に、人間という血の通った部品を長期間留めておくことができない。フォードが見つめていたのは、美しい神話ではなく、出勤簿に刻まれた出血そのものだった。5ドルは人道の証ではなく、穴の空いたバケツの底を塞ぐための緊急措置だったのだ。
飲酒・ギャンブルから貯蓄額までを精査する監視体制
そして、この5ドルには、値札の裏にもう一つの値札が貼られていた。
フォードは高い賃金を払う代わりに、労働者の私生活に土足で踏み込む権利を要求したのである。「社会部(Sociological Department)」と呼ばれる警察のような部署が新設され、労働者の飲酒習慣、ギャンブル、家庭の清潔さ、さらには貯蓄口座の金額まで徹底的に調査した。調査員は抜き打ちで労働者の家庭を訪問し、妻に夫の素行を尋ね、子どもが学校に通っているかを確認した。工場の外にある家庭生活そのものが、工場の評価基準に完全に組み込まれたのだ。
この身辺調査の結果、労働者は4つのランクに分類され、利益分配の適格性が判断された。当初の適格者は「22歳以上で善良な習慣を持ち、既婚なら家族を扶養する男性」等に限られ、家族を扶養しない既婚男性や独身男性は最初から除外された。
実際、従業員のうち約40パーセントが最初の審査で不承認となり、そのうちの約20パーセントは年齢要件だけで不適格とされた。5ドルの華々しい看板の裏側には、既婚か独身か、貯金があるか、酒を飲むかという、極めて私的で道徳的な採点表が敷かれていた。彼は労働者の時間だけではなく、人間の魂そのものを買い取ろうとしたのだ。
「フォード英語学校」が用意した“100パーセント・アメリカン”に変える儀式
非英語圏からやってきた移民労働者には、さらに直接的な儀式が用意されていた。1913年に設立された「フォード英語学校」は、移民に無料の英語教育とアメリカの生活習慣を提供した。だが、その卒業式の光景は異様なものだった。
生徒たちは祖国の民族衣装を身にまとい、舞台上に設置された「アメリカン・メルティング・ポット(人種のるつぼ)」と書かれた巨大な張子の釜の中に一人ずつ入っていく。そして釜の反対側から出てくるときには、全員が同じ仕立てのスーツと帽子を身につけた「100パーセント・アメリカン」に変わっているという演出である。
フォードはこれを、外国性という不純物がスラグとして焼き払われる「精神的な精錬」と表現した。移民は多様な個性として歓迎されたのではない。画一的な型に流し込まれ、規格の揃った部品として鋳造されたのである。
このように、フォードは自らの王国内であらゆる人間をコントロールすることに異常な執念を燃やしたが、工場の外の世界――すなわち「市場の成熟」と「時代の変化」まではコントロールできなかった。