皇室を「血統保存施設」扱いする議論の致命的欠落…男系・女系論争の裏で消された「当事者の人生」
BS-TBS「報道1930」で繰り広げられた皇位継承をめぐる論戦。男系・女系や遺伝子論が飛び交う裏で、決定的に欠落していたものがある。実際にその人生を引き受ける「当事者(皇族)の意思」だ。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏は、皇室を国家の血統保存施設のように扱う議論の歪みを指摘する。退位特例法を前例に、当事者の意思尊重と国会の法的責任をどう両立させるべきなのかーー。
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議論から消えた「当事者の意思」 皇族自身の人生が置き去りにされる不条理
皇室をめぐる議論を聞いていると、最も大切な当事者が消えていることに気づく。男系か女系か。旧宮家の男系男子を養子に迎えるのか。女性皇族は結婚後も皇族に残るのか。政治家、学者、評論家、国民がそれぞれの案を語る。だが、実際にその人生を生きる皇族の意思は、ほとんど聞かれない。
7月16日夜のBS-TBS「報道1930」では、皇室典範の見直しをめぐり、参政党の神谷宗幣代表と立憲民主党の辻元清美参院議員らが議論した。神谷氏は男系男子による継承を重視し、女性天皇の子では「遺伝子が変わる」という趣旨の説明をした。辻元氏は、愛子内親王の子ではなぜ駄目なのかと問い返し、DNA検査をするのかという問題を突きつけた。
この論争を見て、私は改めて思った。皇室は誰のものなのか。皇室は、国民が所有する文化財ではない。国家が保有する血統保存施設でもない。現に生きている人間によって成り立つ一つの家である。私は、皇室を何が何でも存続させなければならないとは考えていない。皇室が続くことを望むなら、その継承の形を決めるうえで皇室自身の意思を最も重く扱うべきだ。皇室が役割を終えたいと望むなら、その意思も尊重すべきである。
結婚や男子出産、公務の強制…外部人間が勝手に作る「理想の皇室」の歪み
この立場は、男系を否定するものではない。現在の皇室が男系男子による継承を望むなら、それを尊重する。女性や女系による継承を受け入れたいと望むなら、それも尊重する。血縁の近い者に託したい、養子によって家をつなぎたい、あるいは皇室という役割そのものを終えたいと望むなら、その選択も尊重する。守るべきなのは、制度を何が何でも延命することではない。皇室を構成する人々の人格と選択である。
この当たり前の話が、皇室議論では簡単に消えてしまう。皇室を守るという言葉を使えば、本人の意思を無視しても許されるような空気が生まれる。結婚相手を制限する。男子を産むことを期待する。生まれた瞬間から将来の役割を定める。公務を続けることを当然とする。本人がやめたいと思っても、長く続いた伝統だから続けろと迫る。
それは皇室を守ることではない。外部の人間が頭の中に作った「理想の皇室」を、現実の皇族に演じさせているだけである。伝統を尊重するとは、伝統を背負って生きる人間を尊重することだ。人間の意思を押し潰して制度だけを残すことではない。皇族を犠牲にして皇室を守るという発想は、初めから矛盾している。
憲法上の制約と「皇室の意思尊重」の整理 公的制度だからこそ求められる当事者への配慮
ここで「皇室は公的な制度なのだから、個人の自由だけでは決められない」という反論が出る。もちろん、一般家庭の相続と同じようには扱えない。日本国憲法第2条は、皇位を国会が議決した皇室典範によって継承すると定める。第4条は、天皇が国政に関する権能を持たないと定める。したがって、天皇や皇族が法的な最終決定権を持ち、次の天皇を単独で指名する制度にはできない。法的決定と政治的責任は、国会と内閣が負わなければならない。
だが、国会が決めることと、当事者の意思を無視することは同じではない。
「天皇家の次の当主は天皇家で決める」という私の考えは、天皇に国政上の決定権を与えろという意味ではない。政治家や評論家が、皇室の意思に反して後継者を押し付けてはならないという意味である。国会は皇室の意思を慎重に確認し、それを制度設計の不可欠な前提として法律にする。最終的な法的責任は国会が負い、人生を引き受ける当事者の意思は最大限尊重する。この順番でなければならない。上皇の退位は、その関係を考える重要な前例である。