なぜ東大文系卒は幸福になれないのか。その構造的理由…競争のレールから降りられない、転職市場で評価されにくい、周囲のキャリアが強すぎる

「東大卒」と聞くと、「エリート」「高年収」「勝ち組」といったイメージを抱く読者は少なくないだろう。しかし、文筆家の「東大卒の人生を考える会」氏は「むしろ東大、とくに東大文系卒は不幸になりやすい」という。いったいなぜなのか。同氏がその理由を喝破する──。
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東大文系卒は社会に出てから不幸を感じやすい
東大文系学部卒がなぜ社会に出てから不幸を感じやすいのかと言うテーマで筆を取りたいと思う。当該テーマを取り上げさせて頂いたのは、近年SNSの発展に伴い、筆者も含めた東大文系卒の抱く苦悩がネット上で散見されるようになったからである。実際、筆者の周囲を見ていても東大文系学部卒は社会に出てからとにかく消耗、摩耗している者が多いと感じることが多い。
そこで今回の記事では最初に東大文系学部卒が不幸になりやすい要因を述べさせて頂いた上で「彼らが幸福になるにはどうしたら良いのか?」という観点に関しても述べてみたいと思う。
東大文系が王道のキャリアを追求すると激務な環境に置かれやすい
東大文系がその肩書に相応しいキャリアを歩もうとすると、総じて激務な環境に身を置かなければならない。具体的には外資・日系投資銀行の投資銀行部門(IBD)、外資系戦略コンサル、官僚、大手JTCの企画部門、4大弁護士事務所、PEファンド等である。
いずれも労働集約的な職種であり、長時間労働になりやすい。残業時間が長いこと自体がすぐに不幸に直結する訳ではないが、睡眠時間の減少や心身の不調に繋がりやすく、人間の幸福度を下げる要因となる。
一方、東大理系の場合、これらが必ずしも王道のキャリアではなく、専門性を活かして比較的マイルドな環境に身を置く選択肢もある。実際筆者の周囲を見ていても、東大理系の方が明らかにワークライフバランスを保ちながらサラリーマン生活を送っている者が多いように感じる。
勿論これらの王道のルートから逸脱することも可能なのだが、そうなると今度は自尊心を保ちにくくなるという問題が発生する。
従って東大文系の不幸度を高める要因のまず大きなファクターとして、東大文系が従事する、従事すると社会的に期待されているような職種にはとにかく激務な職種が多いという点が挙げられよう。
社会と自己認知のギャップ、高校時代の自分からの落差を感じやすい
全国レベルの進学校(目安としては毎年東大合格者が学年で15人以上存在する学校)において、最上位層は国立医学部、私立医学部、東大理系、東大文系、京大等(京大・一橋・東京科学大・早慶)に進学することが多い。特に文系では最上位層が東大文系に集中しやすく、高校時代は全国でも最上位クラスの学力を有していた者が多い。
しかし社会に出ると、文系と言うだけで「数学が苦手」と言う先入観を持たれることもある。本人としては高い学力を有しているという自己認識がある一方、社会では「所詮は文系」と評価されることも少なくない。筆者自身は、社会に出た後にこの評価の低さに正直愕然としたことがある。勿論数学が苦手で、東大文系に合格したような者も中にはいるとは思うが、数学が苦手だと東大文系合格はおぼつかない。殆どの東大文系は数学で難を抱えていたから文系に進んだ訳ではないということは、進学校在籍者でないと分からないことであり、世間一般では認知されていないというのは非常に残念なことである。
この自己認知と世間の評価の乖離が、東大文系学部卒の自己肯定感を低下させる要因となる。
なぜ東大文系卒は競争のレールから降りられないのか
これは東大文系に限らずサラリーマン全般に当てはまるが、サラリーマンはダウンサイドリスクに弱い。一度正社員のレールから降り、休職や長期間の空白期間等が生じると、元のレールに戻ることが難しくなる。
特に士業を除く東大文系学部卒は、これと言ったハードスキルを持たないままサラリーマンになることも多い。つまり「東大卒」という肩書は「正社員のレールの上」でこそ強力だが、そこから降りてしまうと急激に効力を失う。近年は、労働市場の流動化が進んでいると喧伝されることもあるが、東大卒が進みたがるような最上位企業群ではその限りではない。むしろバックグラウンドチェックやリファレンスチェック等の選考方法が近年導入されていることで、こうした「正社員のレールの上」からの逸脱はまずます厳しく判定されているのではないかと感じる次第である。
この点、弁護士、会計士、医師等は独占資格という参入障壁を持つためドロップアウト耐性が強い。65歳まで競争のレールを走り続けなければならないという構造は、東大文系の幸福度を確実に下げる要因になっていると思われる。