AIPS「今世紀最高のアスリート」羽生結弦ふたたび…「何を為したか」「何を変えたか」「何を圧倒したか」論考(2)
すべてを成し遂げた人
国際スポーツプレス協会(以下、AIPS)100周年記念式典における「今世紀最高のアスリート」選出、繰り返しになってしまいますが何度書いてもよろしいでしょう。
羽生結弦がフィギュアスケートのみならず日本人、冬季種目、アジアで唯一選ばれたことも何度書いてもよろしいわけですが、今回は女子です。
女性たちの積み重ねの果てにナワル・エル・ムータワキルがムスリムというガラスの天井を突き破ったことをまず書きましたが、「何を為したか」「何を変えたか」「何を圧倒したか」という偉人の条件、次は同じくガラスの天井を突き破った「空飛ぶお母さん」、クン夫人ことフランシナ・ブランカース=クンと羽生結弦のその矜持性を綴りましょうか。
クン夫人はその1984ロス金のムータワキルから遡ること36年前、1948ロンドンの100m、200m、80mハードル、400mリレーの四種目で金メダルとなった女性アスリートです。
それだけでも先の女性アスリートたち同様に凄いことですが、歴史上初の結婚・出産を経た「母親」(それも妊娠中に!)としての五輪メダリストという、まさに「何を為したか」「何を変えたか」「何を圧倒したか」のすべてを成し遂げた人です。
結婚出産は即引退の時代
彼女は第二次世界大戦前ーー独身時代の1935年に800m走でオランダ選手権を制覇、あのナチス・ドイツによるプロパガンダ五輪とされる1936ベルリン五輪にも18歳で出場、走り高跳びで6位に入っています。
しかし大戦により五輪(1940ヘルシンキ、1944ロンドン)は中止。クンは1928年アムステルダム五輪出場経験のある三段跳びの選手と結婚して子どもを出産、女性アスリートの結婚出産は即引退の時代、それでもクンはオランダ国内の大会に出場を続けました。
クンのアスリートとしての子育てはまさに画期的で、子どもをトレーニング場に連れて行くこともいち早く実践していました。いまでも日本では難しいとされるでしょうが、クンは陸上競技場で子守唄を歌いながら1942年から1944年の間に6つの世界記録を樹立しました。
そして1948ロンドン五輪(1944の代替開催)で初のママさん金メダリストとなるわけですが、そのときクンはすでに30歳を超え、まして3人目の子供を妊娠中でした。
当然、妊婦が何をしてるんだ、母親が家で大人しくせずにとか、子育てもせずにとか散々な言われようでした。あるロンドン五輪の役員などは「二人の子をもつ三〇歳の母親が、家族を放置してショートパンツで走ることに、いったいどれほどの意味があるのだろうか」(※)という言いようでした。
結果「も」出した人
それでもクンは走り続け、跳び続け、The Flying Housewife(空飛ぶ主婦)として、その後のママさんアスリートの先駆となりました。ヨーロッパ選手権で5回の優勝、オランダ国内選手権は58回の優勝とロンドン五輪の金4つ、まさに結果「も」出した人でした。
ある意味、私は羽生結弦のプロアスリート宣言と重ねてしまいます。あのときも競技会を引退即現役引退であるというそれまでの常識を打ち破り、フィギュアスケーターである限り、アスリートであるかぎり引退ではないしプロとアマチュアの垣根などないかのように成功しかない興行を成し遂げてきました。彼もまた結果「も」出した人です。
まさに競技会時代と変わらないプロとしての「何を為したか」「何を変えたか」「何を圧倒したか」といえましょう。だからこそ「偉人」なのです。偉人は過去の人だけを言うのではないのですから。現に、AIPSの選んだ20人の多くは現在も様々な場で活躍しています。もちろん、羽生結弦も。
ちなみにクン夫人の女子陸上同一五輪大会での金4つはいまだに破られていません。