「日本は窮屈な国」は正しいのか?樺澤まどかが海外で感じた“日本下げ”の違和感
海外に住むと、日本の窮屈さが見えてくる――。そんな言葉を聞くことがある。一方で元吉本興業のマネージャーで現在はロンドンでワーキングホリデー中の樺澤まどかさんは、そんな“日本下げ”に違和感を覚えているという。日本と海外を行き来する中で、樺澤さんが感じたこと、そして気づいた自身の変化とは。
みんかぶプレミアム連載「樺澤まどかのロンドン卑屈日記」
目次
「日本は窮屈な国」に感じる違和感
海外生活をしていると、「海外に住んで価値観が変わった」という話をよく耳にする。
ただその中には、日本に対して「窮屈な国だと感じるようになった」「みんな疲れた顔をしているように見える」と、以前より否定的に捉えるようになったという話も少なくない。
海外に住み始めたときは、「私ももっと長く住んだら、そう思うようになるのだろうか」と考えたこともあった。
その考えを、否定したいわけではない。けれど今の私は、そういった言葉に心から賛同することはできない。
私の海外生活は、まだ2年ちょっとと、決して長くはない。でも、実際に生活を続けるほど、私の考えはそういった否定的な見方とは少し違う方向へ変わっていった。
ある日突然、学校が閉校
海外に住んで最初に驚いたのは、かなりベタな話ではあるけれど、日本ではあり得ないようなことが、驚くほど当たり前に起こることだった。
オーストラリアでは、通っていた語学学校が予告もなく突然閉校した。
知らされたのは当日の朝。生徒は強制的に転校となり、クラスメイトもバラバラになった。私たちにできたのは、新しい学校、新しいクラスで、また勉強を再開することだけだった。
ロンドンでは、駅のホームまで行って初めて「今日は運休です」と知ることもあるし、ようやく来たバスに乗ったと思ったら、突然「ここで終点だから全員降りて」と、目的地よりはるか手前で下ろされることもある。
周りの人たちは文句を言いながらも、次のバスを待ったり、別のルートを調べて歩き出したりする。いずれも日本では考えられない出来事だ。
ただそのような光景を何度も見ているうちに、「文句を言っても状況が変わらないなら、じゃあ次はどうするかを考えよう」という考え方が、少しずつ身についていった。そして、以前よりも「変えられないこと」に時間を使わなくなった。
海外の大らかさに囲まれているうちに、自分自身も、少しだけ肩の力を抜けるようになっていったのだ。
“人の常識”も日本とは違う
人との関わりの中でも、新たな価値観が身に着いた。
海外で生活していると、本当にいろいろな人に出会う。国籍も違えば、育ってきた文化も違う。当然、「普通」だと思っていることも違う。
オーストラリアで出会った友達は、約束の時間には当たり前のように遅れてくるし、なんなら約束そのものを忘れていることもあるくらい、適当だった。
ロンドンではスリが多いと言われているにもかかわらず、カフェで隣の席の人から「ちょっとトイレに行くから荷物見てて」と、初対面なのに頼まれることが何度かあった。
ほかにも道を歩いていたら全然知らない人から髪型を褒められたり、呼び止められて「その服どこ買ったの?」と質問されて、教えてあげたりすることも少なくない。
日本ではあまり経験したことのない距離感で、最初は驚くことばかりだった。でも、段々と、時間の感覚も、人との距離感も、信頼の置き方も、「普通」は国によってこんなにも違うのだと知っていった。
日本にも海外にも、いいところがある
オーストラリアでのワーキングホリデーを終えたあと、私は約半年間、日本で生活した。
海外を経験したあとなら、日本の窮屈さばかりが目につくのだろうと思っていたけど、実際は、そんなに単純な話ではなかった。
日本では、電車はほぼ時間通りに来るし、役所の手続きも驚くほど正確に進む。人が快適に暮らせるような工夫や便利なものがとても多い。
以前は当たり前だと思っていた景色に、「やっぱり日本ってすごいな」と何度も思った。
その一方で、人間関係や手続きの細かさに触れると、「もう少し適当でもいいのにな」と、海外の大らかさが恋しくなる瞬間もあった。
日本へ帰ったことで、日本にも海外にも、それぞれ自分が好きな部分とそうではない部分があることに気づいた。
さらにイギリスへ来てからは、「海外」という言葉で一括りにすること自体が、少し乱暴なことなのかもしれないと思うようになった。
同じ英語圏でも、オーストラリアとイギリスでは、アクセントも違えば、人との距離感も、街の空気もまるで違う。オーストラリアで当たり前だったことが、イギリスではそうではないこともあれば、その逆もある。
よく考えてみれば日本国内ですら地域によって文化が違うのだから、世界規模で違いがあるのは当たり前だ。それなのに私たちはすぐ、海外と日本を比べたがる。
自分の中に多様性が生まれた
「日本と海外、どちらに住みたい?」
そう聞かれると、答えに迷ってしまう。
私は海外生活を通して、日本を以前より否定的に見るようになったわけでも、海外を理想の場所だと思うようになったわけでもない。
むしろ、日本にも他の国にも、それぞれ良いところと悪いところがあり、その違いは「直すべきもの」ではなく、その土地で育まれてきた文化なのだと思うようになった。
日本の丁寧な接客は素晴らしい。でも、その丁寧さが、働く人にとって息苦しさになることもあるのかもしれない。
海外のフレンドリーさや大らかさも魅力的だ。でも、だからといって日本人全員が道ですれ違う人に笑顔で話しかけるべきだとも思わない。
どちらにも真似したいところがあり、このまま残っていてほしいと思うところもある。
海外生活で価値観が変わったかと言われれば、確かに変わった。
たとえば日本と海外、それぞれの違いを、優劣ではなく「違い」として面白がれるようになったこと。そして、自分とは違う考え方や文化に対して、「そういうものなんだ」と受け止められるようになったこと。
正確に言えば、海外へ行ったことで価値観が大きく変わったというより、一つの価値観だけで物事を見なくなった、と言ったほうが近いのかもしれない。
考えてみれば、これが私にとって海外生活で一番大きな変化だった。