「背中は硫酸でケロイド状に溶けていた」「もしかしたらエイズかもしれない」アジア最悪の暗黒街でHIV感染の恐怖に耐えきれず男が検査を受けると…
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第18回――。
<前回までのあらすじ>
インドの暗黒街で、筆者は執拗なポン引きにつきまとわれ、仲間に囲まれて脅された。売春宿のオーナーからは人身売買を持ちかけられ、スラムの売春地帯では女性たちと深く関わり続けた。地獄はあの世ではなくインドにあるのではないか。そう思うほどの日々の中、筆者の脳裏にはHIV感染への恐怖がちらつき始め――。
なんだかずっと体調が優れない
インドのムンバイはあまりにも殺伐とし過ぎていて、そこにいればいるだけ体力も気力も消耗した。この頃から周期的に体調が悪くなっていくのを感じていた。
「ああ、ムンバイは自分には合わないんだ」と私は思った。カマティプラもフォークランド・ストリートも好戦的で憎悪を剥き出しにした女性たちばかりだったし、ポン引きたちの執拗さも私を心底疲れさせた。
本当はムンバイからゴアやチェンナイに行くことも考えていたが、ムンバイで日に日に気力が削がれ、そんな気もなくなった。
ある日、あまりにも精神的につらくなって、インドで唯一落ち着ける暗黒街であるコルカタのムンシガンジに戻ることにした。ムンバイから相変わらずメンテされていないインド航空に乗ってコルカタに戻ると、すぐにムンシガンジに向かった。

<写真>旅の道中にて(写真:筆者撮影)
そこにはお気に入りのラシーダがいる。
彼女は優しかったし、彼女の部屋は静かで居心地が良かった。私はそこに入り浸って、彼女のボリュームある黒髪や弾力のある乳房に埋もれて過ごした。ラシーダは、自分に抱きついて離れない私を、いつまでも好きにさせてくれた。
だが、そうやって長い時間過ごしていると、いつしか他の女性が「ラシーダばっかりにカネを出して、自分たちにはくれない」と言い出すようになって、ラシーダの立場がどんどん悪くなった。
相場を張る気力も湧かない
無口なラシーダは、もともとまわりと折り合いが良くなかったのだが、私の執着が原因でますます孤立していった。それで、私はここにいるのも潮時だと思うようになった。では、どこに行けばいいのだろう……。
当初はインドをあまねく回るつもりだったが、すっかりインドには精神的に疲れ果てていた。「どうしたものかな」と考えているうちに、不意にラシーダの故郷であるバングラデシュに行こうと思い立った。
ただ、ビザの関係もあるのでいったんタイに戻り、それから日本に帰ってから出直すことにした。日本では数か月ぶらぶらして、米国株の動向を見ていたが、あまり無理な売買はしなかったので儲けもそれほどでもなかった。働かないでここまで来たが、資産は着実に目減りしていた。
「何もしなければ、5〜6年後は無一文だな……」
どこかで勝負して資金を増やす必要があったが、この頃は、どうも相場を張る気力も湧かなかった。薄々と自分の身体がどこかおかしいとは思ったが、おそらくインドで疲れ果ててしまったのだろうと自分で勝手な診断をした。
病院には行かなかった。下手に病院なんか行ったら、何か悪い病気を「発見」されるかもしれない。そうすると、今の気ままなライフスタイルも終わる。私は無意識に、それを避けようとしていたのだと思う。
過激武装組織に斬首された24歳の日本人男性
私は子供の頃から極度の偏食で、今もジャンクフードしか受け付けない。このときも、野菜はまったく食べないうえに、タイの極度に甘いアイスコーヒーみたいな飲み物に毒されていた。
いずれは健康を害して倒れるかもしれないという予兆はあったのだが、まだまだ先の話とタカをくくっていた。
それで私は病院に行くのではなく、バングラデシュに行く方を選んだのだった。
まずはバンコクへ入り、そこからバングラデシュの首都ダッカに向かった。空港から出ると街は騒然としていた。プラカードを掲げている人がいたのでよく見ると、それは反米デモだった。
2004年当時、アメリカのブッシュ政権は「War on Terror(テロとの戦い)」を叫んでアフガニスタンを攻撃し、イラクを攻撃し、アルカイダを目の敵にしていた。これに対してイスラム教の国々が反米を呼びかけていて、イスラム国家と西側諸国は一触即発の状況だった。
バングラデシュも、激しくアメリカに対して反発しているのを、ダッカに入った瞬間から私は知ることになった。
そう言えば、イラクを旅行中だった24歳の日本人男性がアルカイダ系の過激武装組織に、生きたまま首を切断されたのがこの年だった。
その残酷な斬首の動画はネットで配信されていたので私も見たのだが、他人事には思えなかった。イスラムの国のアンダーグラウンドをひとりでふらふら漂っていたら、次は自分がそうなってもおかしくない。
貧困と、脆弱な社会基盤と、腐敗した政治
バングラデシュに入った翌日、私はダッカの街を当てどなくうろついたのだが、市街地に入れば入るほど、貧しさはインドよりも際立っているように見えた。骨と皮のようになった老婆が道ばたに座り込んで物乞いをしていたり、両足が不自由で歩けない男性が泥の道を這ったり転がったりして物乞いをしている姿もあった。
真夜中になると広場や道ばたで数百人とも思われるホームレスがびっしりと寝ている姿もある。困窮する人々の群れと、脆弱な社会基盤と、腐敗した政治……。この国の貧困は、私が想定していた以上のものがあった。
ラシーダがインド・コルカタのスラム街にいてバングラデシュに戻らないのも、やっと理解できた。たしかにコルカタのムンシガンジも、貧しい人々が住むスラム地区だった。しかしバングラデシュは、それ以上に貧しかったのだ。
ダッカでひとりで歩いていると、距離を置いて何人かの男がかならず後をつけてくる。私が立ちどまると彼らも立ちどまる。最初は強盗なのかと思ったが、どうやらそうではなく、好奇心で私を追っているのだった。
四六時中、誰かに監視されているような状況で落ち着かない。夜になると、私と平行して歩きながら、ひとりごとのように「ガンジャ、マリファナ」とつぶやいている男もいた。私と目が合うと、その男は「欲しいか?」と声をかけてくる。
バングラデシュのガンジャの味には関心があったが、あまり信用できそうな男でもないので私は断った。
背中がケロイド状態の娼婦
数日後、私は現地の信頼できそうな運転手を見つけて、ダッカから車で3時間ほどかかるダウラディアに向かった。この国最大の暗黒街として知られている場所だ。
フェリー乗り場からほど近い場所に、トタンでできたバラック小屋がびっしりと立ち並んでいた。そこで若い女性から老いた女性までが客引きをしていた。
狭い迷路のような路地を歩いていると、強烈に不幸なオーラを漂わせているような女性が立っているのに気がついた。彼女がどうしても気になって、一緒に彼女の部屋についていった。
そして、私は彼女の背中が激烈なケロイド状態になっているのを見た。
皮膚が溶解したとしか形容できないすさまじいケロイドだったので、私は思わず声を上げずにおられなかった。この当時、バングラデシュでは硫酸を憎しみを持つ相手にぶっかけるアシッド・アタックという犯罪が広がっていた。彼女はその被害者だったのだ。
私はてっきり彼女が男にやられたと思ったのだが、彼女に硫酸をぶっかけたのは女性だったという。そんな被害に遭った女性も、暗黒街に立っていることに衝撃を受けた。今でも、彼女の溶解した皮膚を見たときのショックは忘れられない。
「ここから出たければ、どうしたらいいのか考えろ」
バングラデシュには他にもタンガイルという売春地帯があって、そこもまたおびただしい女性が男を誘っている光景が見て取れた。女性たちは素朴で、仲良くなったら部屋で一緒に食事をすることもあった。
バングラデシュでは、そんなところをずっとうろついていたのだが、やはり体調が優れなくて、体力が激しく消耗していった。そんな中、ますます私を追いつめる出来事があった――。