JFK暗殺から5年後の衝撃再婚劇を再考する…ジャクリーンが求めた「安全」と海運王・オナシスが買った「格」

1968年、JFK暗殺から5年後に挙行されたジャクリーン・ケネディとギリシャの海運王・オナシスの再婚は、全米に「キャメロットの終わり」と失望を与えた。だが、この決断を単なる「愛か金か」で捉えるのは雑である。元プレジデント編集長で作家の小倉健一氏は、義弟RFKの暗殺で子供の安全を求めたジャクリーンと、巨万の富を持ちながら「アメリカ社会の正面玄関」という格を欲したオナシスの利害一致に着目。金で買えるのは愛ではなく「安全や自由という人生の前提条件」だとするオナシスの冷徹な資産論から、再婚劇の構造を浮き彫りにする。
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血染めのスーツから5年 62歳海運王と39歳元大統領夫人の電撃婚
1968年10月20日、ギリシャ西部の私有島スコルピオスで、62歳のアリストテレス・オナシスと39歳のジャクリーン・ケネディが結婚した。式は小さなギリシャ正教会の礼拝堂で行われた。JFKがダラスで暗殺されてから、まだ5年もたっていなかった。
ジャクリーンは、1963年11月22日、夫が狙撃された大統領専用車に同乗していた。その後も血の付いたピンク色のスーツのまま、大統領専用機でリンドン・ジョンソンの宣誓に立ち会った。アメリカにとって彼女は、単なる元大統領夫人ではなくなった。夫の死を背負いながら立ち続ける姿そのものが、JFK時代の記憶になった。
だから再婚の衝撃は大きかった。TIMEは当時、米国内外で失望や驚きが広がり、「キャメロットの終わりだ」という反応が出たと報じている。カトリック教会でも問題になった。バチカン側の教会法学者が、再婚した彼女は少なくとも教義上「公然の罪人」になるとの見方を示したとTIMEは伝えた。一方、ボストン大司教のリチャード・クッシング枢機卿は、破門説を否定した。
ケネディ家とは対極の泥臭い出自 1922年の混乱から始まったオナシスの足跡
相手のオナシスは、ケネディ家とはまるで違う世界から来た男だった。1906年、オスマン帝国領スミルナに生まれた。16歳だった1922年、希土戦争の混乱でスミルナが炎上し、一家の財産を失って難民となった。翌年アルゼンチンへ渡り、電話交換手として働きながら、家族のたばこ輸入事業を広げた。オナシス財団の公式記録では、1932年までに資本5万ポンドを築き、その後に海運へ進んでいる。
彼の強さは、船をたくさん持っていたことだけではない。船を買う前に資金を集め、荷主との長期契約を取り、安く船を手に入れ、需要が伸びる石油輸送へ早く移る。1933年に中古貨物船2隻を買い、1938年には初のタンカーを建造した。1945年に6隻だった船隊は、1955年には77隻まで増えた。
1946年、40歳のオナシスは17歳のアシーナ・リヴァノスと結婚した。彼女の父スタブロス・リヴァノスは、ギリシャ海運界の大物である。オナシス財団自身も、当時のオナシスが伝統的なギリシャ船主社会では「外から来た男」と見られていたと記している。この結婚が彼を海運界の名門と結び付けたことは事実である。
単なる「買い物」ではない金の使い道 人脈と交渉の主導権を買い続けたオナシス
オナシスは、金を「物を買う道具」とだけ考えていなかった節がある。金で参加資格を買った。船だけでなく、人脈、信用、場所、時間、交渉の主導権まで手に入れた。そのやり方は危うさも伴った。彼は1939年からパナマ法人と便宜置籍船を活用した。戦後、米国人向けに売られた船舶を外国人支配の会社が取得した問題では、米政府から追及を受けた。学術研究では、1955年の和解でオナシス側が有罪を認め、700万ドルを支払ったと確認できる。「米国政府に起訴され、罰金を払った」という筋は正しい。単純な「脱税事件」とするのは正確ではない。
それでも事業は膨らんだ。1953年にはモンテカルロ・カジノやホテルを持つSBMの支配権を握り、1956年にはギリシャ政府から航空事業の運営権を取得してオリンピック航空を始めた。1963年にはスコルピオス島を買い、木を植え、港や宿泊施設を整えた。1960年代半ばには船隊の総トン数は150万総トンに達していた。