“未知の価値”を見極める! スタートアップ成長の分水嶺「トラクション」とは何か クロスロケーションズの事例
プロフィール
村上茂久
株式会社ファインディールズ代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社フェロー、iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。大学院の経済学研究科を修了後、新生銀行で証券化、不良債権投資、不動産投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事。2018年より、GOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業開発、起業支援、スタートアップファイナンス支援業務等を手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズを創業。著書に「決算書ナゾトキトレーニング 7つのストーリーで学ぶファイナンス入門」(PHP研究所)がある。
村上茂久のスタートアップ投資術-新世代アップルの見つけ方-(3)
スタートアップ企業(ベンチャー企業)の市場は年々成長し、2021年に資金調達額が7801億円(1919社)を記録するなど、近年、日本でも盛り上がりを見せています。
本連載では、株式投資型クラウドファンディングのプラットフォームである「FUNDINNO」を通じて資金調達を行った企業を毎回取り上げ、スタートアップ企業のビジネスモデルや成長戦略について、これまで、数多くのスタートアップ企業の資金調達支援を行ってきた株式会社ファインディールズ代表取締役の村上茂久さんが考察します。
村上さんは「スタートアップ企業は情報が少ないものの、調達にあたり、投資家に刺さるポイントがある程度、形式知化されていることも分かってきた」と話します。
事業が成熟している上場企業とは異なるスタートアップ企業を分析する際、どのような視点が必要とされるのでしょうか。
第3回は、誰もが簡単に位置情報データを活用できるクラウド型データ活用プラットフォーム「Location AI Platform®」(以下、LAP)を提供するクロスロケーションズ株式会社を取り上げるとともに、スタートアップの成長の分水嶺ともなる「トラクション」について解説します。
位置情報ビッグデータ×AI×SaaS
クロスロケーションズは、位置情報を活用したビッグデータを用いて、クラウドでサービスを提供する、いわゆるSaaS(Software as a Service)のビジネスモデルとなっています。
位置情報については実はこれまで、多くのデータは獲得できていたものの、これらのデータは記録として扱われることがほとんどであり、十分に活用できていませんでした。
一方で近年では、ビッグデータの解析、AI、クラウドサービス等の進化により、これら位置情報から、さまざまな分析ができるようになってきています。
とはいえ、これらビッグデータを活用するには、組織の中に高度な分析を行える人材が必要だったり、AIへのシステム投資が必要だったりと、導入は決して簡単なものではありませんでした。
このような課題に対して、クロスロケーションズが提供するクラウド型データ活用プラットフォーム「LAP」を用いれば、誰もが位置情報データに容易にアクセスできるとともに、ニーズに合わせて、ビジネスに活用することができるようになります。
具体的には、LAPを通じて、特定の場所の人の流れ(人流)を把握する▽店舗や観光地を訪れた人数を推計する▽滞在時間を測定する――といったことが可能となります。
スタートアップにおける「トラクション」の重要性
クロスロケーションズはFUNDINNOにおいて、9900万円もの調達に成功しています。FUNDINNOでは金融商品取引法の関係から、一部を除いて、調達額は1億円未満となっています。そういう意味では、クロスロケーションズはほぼ満額を調達できたと言えるでしょう。
では、クロスロケーションズにおける調達の成功要因は何だったのでしょうか。最も重要な要因の一つは「トラクション」があったことだと筆者は考えます。
「トラクション」とは、スタートアップの文脈では「成長する兆し」ということを意味し、定量的に測られるものです(※1)。
例えば、スマホアプリの場合はアプリのダウンロード数、toC向けのサービスならば、日々のアクティブユーザー数(前回の記事「共有家計簿アプリ「OsidOri」に見る、サブスクビジネスにおける「MAU」の意味」におけるMAU参照)、toB向けのSaaSサービスならば、導入企業数等が考えられます。
スタートアップ企業が提供するプロダクトやサービスのほとんどは「未知」の価値です。すでにあるプロダクトを改善したり、既存のサービスの延長で新商品を出したりする場合は、すでに価値があることが分かっていること、すなわち「既知の価値」に対して、新たな付加価値をつけることでビジネスを展開することになります。
例えば、iPhoneの価値は多くの人に理解されています。その上で、毎年、iPhoneはアップデートされて発売されています。これはまさに「既知の価値」の延長にあるものです。
一方で、スタートアップが提供するサービスは潜在顧客や買い手からすると、まだ価値があるかどうかが分からない「未知」の価値となります。だからこそ、この未知の価値が顧客に受け入れられるかどうかを判断することが投資家にとっては重要になります。
これを見極めるための一つが「トラクション」です。そして、十分なトラクションの実績を得るとともに、プロダクトやサービスが市場に受け入れられるような状態になったことを、PMF(Product Market Fit)と考えることができるのです(PMFについては、第1回連載の「野菜のペースト「ベジート」はいかにして市場に受け入れられたのか」を参照)。
では、LAPのトラクションはどうだったのでしょうか。FUNDINNOの調達前時点において、LAPを導入している企業や団体はベイシアグループ、神奈川県の横浜中華街等、大手流通チェーンや商工会、報道機関メディアや行政が挙げられます。
FUNDINNOのクロスロケーションズの調達ページによれば、LAPは調達時点で、約50社に利用され、2.6億円もの売上見込があったとのことです。これはすなわち、LAPには当時すでに十分なトラクションがあったということです。
顧客に受け入れられる価格の検証が行えているかどうか
スタートアップのサービスにおいて、トラクションを獲得する際に重要になってくるのが、価格の検証です。新しいサービスの未知の価値が受け入れられるためには、サービス自体に価値があることはもちろんのこと、それに加えて、適正な価格設定が重要になってきます。というのも、新しいサービスになればなるほど、価格のベンチマークがなくなってくるためです。
価格の検証をする際には、①価格が顧客に受け入れられるかどうか②設定した価格で、ビジネスとして利益が出る水準まで持っていけるのかの2点が特に重要になってきます。ここでは主に①について見てみます。
LAPの場合は、約50社の利用で約2.6億円の売上ということなので、単純平均で1社約500万円になります。もちろん、この50社の利用の中には、実証実験的に無償で提供したところもあると思いますし、プロダクトをカスタマイズしたことで、500万円以上の売上を得たケースもあるでしょう。ですが、ここでは単純化して、1社平均500万円と仮定します。
LAPを使うのに500万円と聞いてどうでしょうか。人の位置情報が手軽に分かるとはいえ、決して安い価格ではないと感じた人も多いのではないでしょうか。
現在のクロスロケーションズのホームページによれば、LAPの月額費用は55万円~(税込み)となっています。年間だと600万円強になり、先ほどの平均500万円と近しい水準になっています。
これは、FUNDINNOの調達時点において、50社の企業に使ってもらったことで、LAPは月額50万円前後の金額でも企業に受け入れられたという検証ができたということになります。そういう意味では、無償で顧客に使ってもらい、ユーザー数を増やしたのではなく、「LAPは、顧客に対価を払ってもらった上でトラクションを獲得できていた」と考えられ、これは投資家からすれば、投資判断における重要なポイントだったと言えます。
なぜ、LAPは月額使用料55万円でも受け入れられたのか
LAPの利用料は月額55万円~なので、年額で計算すると600万円もの多額の費用支出になります。なぜ、これほどまでの金額設定でもトラクションを獲得できたのでしょうか。
LAPが提供している位置情報の把握というのは、インターネットとの対比で考えると理解しやすくなります。ネット上では、HPやwebサービスのアクセス等の多くは可視化されています。そのため、例えば、ネット広告を配信した際に、どれくらいの効果や流入、コンバージョンがあったかを容易に計算できるようになります。
その上で、顧客獲得単価と、新規顧客が将来にわたってどれくらいプロダクトを使ってくれるのかを天秤にかけることで、広告にかける費用の額を判断しやすくなるのです。
一方で、ネットとは異なり、リアル店舗の場合は、広告における投資判断は必ずしも簡単ではありません。例えば、チラシやテレビCMを通じて広告を打ったとして、その結果として、どれくらい、来店数が増えたかを判断するのは、ネットとは違い難しいのです。もちろん、購入者自体の増減は売上の増減から判断できますが、広告による人の流れ自体の変化を定量的に分析するのは困難なのです。
ですが、LAPでは位置情報を活用することで、広告効果を可視化することができるようになります。テレビCMではそれこそ、年間に数千万円から数億円という広告予算をつけるケースもあるでしょう。これら多額の広告宣伝費を投入したとして、広告の費用対効果が適切に分析できないとなると、どうでしょうか。億単位の予算をつけるならば、効果を測るために相応の分析に費用をかけてもよいと考えるはずです。
その点、LAPならば月額55万円からなので、年間で600万円強です。この金額だけ見れば、確かに高く感じるかもしれませんが、数億円の広告予算からみると数%なのです。
広告宣伝費だけでなく、マーケティングについて数千万円から億単位の予算がついている大企業や自治体からすれば、手軽に位置情報を分析できるLAPは費用対効果として十分魅力的に感じるものだと予想されます。実際、FUNDINNO調達時点で、50社以上に導入され、売上が2.6億円まで伸びている事実が、それを裏付けているのです。
トラクションを通じた価値の検証から成長の検証へ
今回は、9900万円という多額の金額を調達したクロスロケーションズを事例に、トラクションや価格検証について解説しました。ここまでのLAPのトラクションを踏まえると、当該事業はすでにPMFは達成できていると考えてよいでしょう。
すなわち、「未知の価値」の検証はすでに終えていて、現在は「成長」の検証を行っているということです。この「成長」の検証とは、初期顧客を獲得できた後に、積極的にプロダクトを展開・開発して、成長していくフェーズと言えます。まさにスタートアップ企業の醍醐味の一つとも言える成長フェーズに入っています。
事実、2022年8月に、クロスロケーションズはシリーズBの資金調達ラウンドで過去最大の3.8億円の資金調達に成功しています(※2)。
スタートアップ企業のプロダクトやサービスの多くは当初、魅力的に見えるものですが、それが実際に顧客や市場に受け入れられるかどうかは別の話です。その際にポイントとなるのが、トラクションがあるかどうかです。スタートアップ企業からすれば、まずはトラクションを獲得するために注力することが重要であり、投資家からすれば、トラクションの見極めが投資の判断の際にポイントになるということです。
クロスロケーションズが多額の調達に成功したのは、プロダクトが魅力的なことに加えて、十分なトラクションがあったことで、多くの個人投資家を集めることができたからだと考えられます。
スタートアップ企業を見る際にはぜひ、トラクションの視点を意識してみてください。
(※1)ガブリエル・ワインバーグ, ジャスティン・メアーズ(2015)「トラクション ―スタートアップが顧客をつかむ19のチャネル」オライリー・ジャパン
(※2)クロスロケーションズ、SeriesB資金調達ラウンドで過去最大の3.8億円の資金調達を完了
https://www.x-locations.com/news/pr20220804/