28歳で余命半年。それでも3代目になった女性が「会社の危機」を乗り越えるまで
28歳で急性骨髄性白血病を発症し、2年の闘病を経て経営の現場に戻った株式会社ふく成の平尾有希氏。復帰から数年後、熊本地震で生け簀は全壊し、コロナ禍では売上が8割減少した。危機のたびに事業の形を変えてきた判断の中身を聞いた。全4回の第2回。
みんかぶマガジン連載「バリキャリ女性社長のワークライフ・ルール」
余命半年と告げられた28歳の2年間の闘病生活
ふぐの割烹料理店の女将として店が回り始めた28歳。平尾氏の体を急性骨髄性白血病が襲った。告げられた余命は半年。それでも本人に悲観はなかったという。
「余命半年と言われても、死ぬというのは全く想像しませんでした。とりあえず自分が頑張ればいいんだ、頑張ればどうにかなるでしょう、という感覚でしたね」
闘病を支えたのが、病気の発覚を機に夫となる男性だった。店に酒を納品してくれていた担当者で、経営がわからないまま店を任された平尾氏に、他の繁盛店の事例を教えるなど相談役を務めてくれていた。
「病気とわかった時に、主人が面倒を見るよと言ってくれたんです。余命半年ですよ。よく面倒を見ると言ったなと、今でもありがたく思っています」
それから約半年かけて、がん細胞が見つからない寛解の状態にたどり着いた。それを機に結婚式の準備を進めていた矢先、再発が判明した。式は取りやめるしかない。その連絡を受けた式場のホテルが、思いがけない提案を返してきた。
「骨髄移植をしたら見た目も変わるから、写真だけでも残しましょうと。カメラマンを手配して、チャペルを空けて、挙式だけでもと言ってくださって。病院の先生に1週間だけ入院を待ってもらって、無理やり1週間以内でやっていただきました」
参列したのは身内と、仕事を休んで駆けつけた友人が1人2人。それでは寂しいだろうと、当日はホテル中の従業員が集められた。ずらりと並んだ見ず知らずの人たちが、これから闘病に向かう花嫁にフラワーシャワーを降らせた。
2度目の闘病は1年余りに及び、合わせると約2年。骨髄を提供したのは妹だった。3姉妹の血液の遺伝子がすべて一致するという、医師も初めて見たという偶然に助けられている。ただし骨髄提供には体格の基準があり、当時大学生だった末の妹は数値を超えていた。
「3カ月待ってくれと言われて、その3カ月で妹は20キロぐらい痩せてくれたんです。正直、再発を告げられたときはもう治すのは無理だと諦めかけていました。あのきつい治療をまた最初からやるのかと。でも、そこに主人がいて、家族が後押ししてくれたので、これは自分のためじゃない。みんなのためだから頑張れたんです」
白血病の治療は、体内すべての血液を作り替えることになる。免疫はリセットされ、制限のある生活が続いた。それでも事務作業からでもいいから働きたいと、父の加工場に顔を出し始めた。