東大二次試験の試験中に母から着信?東大王・河野ゆかりの伸び悩みを支えた「家庭の温度感」

神戸海星女子学院で学び、東京大学医学部医学科へ進んだ河野ゆかり氏。現在はスイス・ジュネーヴ大学大学院に籍を置く。幼少期は成績も振るわず、机に向かうことすら苦手だったという河野氏だが、中学進学を境に生活は一変する。東京大学受験指導の名門・鉄緑会に通い始めた中高時代、順調に見えた歩みの裏で訪れた大きな伸び悩みを、どう乗り越えたのか。全4回の第2回。
みんかぶマガジン連載「天才たちの育ち方」
習い事から「鉄緑会」へ。厳しい塾でも苦にならなかった理由
小学校時代に毎日のようにこなしていた水泳やピアノなどの習い事は、中学進学とともにほとんどが姿を消した。代わって生活の中心になったのが、東京大学受験指導の名門・鉄緑会だった。中学1年生から通い始め、10年以上経った今も印象深い場所だという。
「厳しいところですが、私は結構楽しく通ってたので、あんまり辛いと思ったことはなかったんです。それでもやっぱり遊ぶのと天秤にかけると遊ぶ方が楽しいので、できるだけ勉強を早く終わらせて、好きなことをしたいっていうモチベーションでしたね」
純粋な勉強好きというより、効率よく片づけて自由時間を確保したいという発想が原動力だったようだ。勉強一色の生活だったわけでもない。中学時代はバスケ部に、高校では生徒会に所属していたそう。
「中学時代はゴリゴリの体育会でした。でも上下関係とか学べたので、よかったと思います。当時はそこまで忙しくなくて、私『こち亀』がすごい好きだったんです。だから漫画もずっと読み続けてました。高校では生徒会にも没頭していましたね」
塾と部活と趣味を無理なく両立できていたのは、詰め込みすぎない生活設計があったからこそだろう。難関塾に通わせること自体より、そこに息抜きの余白を残せるかどうかが、子どもが勉強を続けられるかを左右するのかもしれない。
「昔の受験の常識」への反発。中高時代に芽生えた思春期の葛藤
得意・不得意にもはっきりとした傾向があった。「理系科目っていうのは答えが一つに決まるので、曖昧なところがなくてすごく好きだったんです」と河野氏。反対に国語の長文読解は採点者によって点数が変わる曖昧さに、苦手意識があったという。
中学で自分なりの勉強法を確立していく過程では、反抗期らしい時期もあったそう。
「勉強に口を出されるのが嫌でした。自分で考えてやり始めた時期だったからこそ、昔の受験の常識みたいなことを言ってくると、反発してしまいましたね」
自分なりのやり方を模索し始める時期に、親世代の成功体験や「昔はこうだった」という物差しを持ち出してしまうことは少なくない。河野氏の反発も、根拠のない指図への抵抗というより、自分の頭で考えて選び取りたいという意思の表れだったといえる。幼少期から理由を積み上げて考える習慣を身につけてきたからこそ、この時期には親の側が一歩引き、本人の判断を尊重する姿勢に切り替えられるかどうかが問われる。