『夫婦別姓刑事』佐藤二朗&橋本愛トラブルの背景ーー吉田豪が見た「繊細すぎる役者ふたり」 間に入ったフジテレビの決定的な調整不足
ドラマ『夫婦別姓刑事』の現場トラブルを巡り、ネット上では佐藤二朗氏と橋本愛氏に対するバッシングや過剰な擁護が続いている。だが、これまで双方を取材してきたプロインタビュアー・吉田豪氏の見立ては少し違う。批判を経て学びを深めた橋本氏が文春連載に残したメッセージ、強迫性障害を抱えアドリブを嫌う佐藤氏の繊細な素顔。当事者同士の衝突に見える騒動の裏で起きていた、テレビ局の調整不足と二人を政治利用する「偽りの応援団」の危うさを整理する。
みんかぶプレミアム連載「吉田豪の月イチ気になる話。」
橋本愛の「圧倒的な勉強量」と文春連載で示されたメッセージ
佐藤二朗さんと橋本愛さんの『夫婦別姓刑事』を巡る騒動なんですけど、ボクは二人とも取材した経験があって、今回いろいろコメントしている人たちの中では人物像をよく知ってるほうだと思うから、ちょっと掘り下げてみます。
橋本愛さんは以前、『BRODY』という雑誌で大森靖子さんとの対談をボクが仕切ったことがあるんですけど、大森さんへの愛が異常なぐらいで感動するレベルだったんですよ。忙しすぎて記憶がないぐらいだった『あまちゃん』の現場でも大森さんの曲を聴いて救われていたらしくて、「私は本当はZOC(大森靖子がプロデューサー兼メンバーとして活動しているアイドルグループ)になりたかった」「理想は大森さんの曲を永遠に歌いたい」とまで言ってたり、過剰な愛と大森さんへの心遣いをオタクな口調で連発してて本当にシビレたんですよね。
そんな橋本さんが以前、週刊文春の書評連載でトランスジェンダーに関する記述を巡って、リベラルな方々から批判されたことがあったじゃないですか。そうやって叩かれると余計頑なになったり反発したりする人も多いんですけど、彼女のすごいところはすぐに謝罪した上で、「もう二度と、考えの至らないまま発言をしてしまわないために、何よりこの世界に生きる誰かをこえ以上傷つけてしまわないために、今私が約束することは、今後必ずアップデートし続け、学び続け、そして行動し続けるということです」「学びの機会をくださり、本当にありがとうございます」と発言して、それを実行し続けていることなんですよ。とにかくめちゃくちゃ勉強していて、下手したらそのとき叩いてきた人以上に知識を深めたっていう、その柔軟性と誠実さは尊敬に値します。それでいて批判のきっかけになった、トランスジェンダーという、かつて男性だった存在が女風呂や女性トイレに入ってくることに対する恐怖心は、自分のあるトラウマが原因だったってことも話していて、それも今回の件に繋がってくると思ったんですよね。
それと前提として知っておきたいのが、彼女の週刊文春での連載『読書日記』の原稿なんです。文春で仕事していたからってだけで、世間では「彼女がリークしたんじゃないか」なんて疑う声もありましたけど、重要なのはそこで何が書かれてたのかってことなんです。毎回、社会問題とかフェミニズムとかの本を紹介する連載だったんですけど、実はいま体調不良で連載は休止になっていて、最後に載った原稿が4月30日号。報道によると、3月22日に佐藤さんがアドリブで橋本さんの顎を触り、翌23日に佐藤さんが橋本さんの楽屋に行き、4月8日に2度目の楽屋突撃があったってことは、つまり今回のトラブルの渦中に書かれたものだったんですよね。
「壊れたまま、どこまで生き続けられるか」ーー『私の身体を生きる』の引用が照射したネットの過酷な空気
そこで彼女が紹介したのは、村田沙耶香、西加奈子、鈴木涼美、金原ひとみ、能町みね子、鳥飼茜、児玉雨子といった面々による『私の身体を生きる』というオムニバス本でした。これ、すごくいい本で、でもそれぞれがかなりデリケートな話をしているからボクも中身を紹介するのも自粛したぐらいの代物だったんですけど、発売されたのは2024年5月なんですよ。なぜ2年も前の本をこのタイミングで紹介したのか。ちょっと彼女の文章を引用してみます。
「本書の中では、性被害の話が少なくない。しかし、性被害に遭ったときの反応は人によって大きく異なる。強い恐怖や怒りを感じる人もいれば、何も感じられなくなる人もいる。身体は過剰な暴力から自分を守るために、感覚が切り離されたり、出来事を現実として受け止めないようにしたりすることがある。そのため、すぐに被害の深刻さを実感できない場合や、普段通りに振る舞える場合もある。どの反応も異常ではなく、それぞれの身体が生き延びるために選んだ自然な反応である。性被害者は一様には傷つかない。しかし、そうした前提が共有されていない社会では、その振る舞いはしばしば誤解される。なぜ普通に振る舞えるのか、なぜ笑っていられるのか、といった問いが、無自覚のまま被害者に向けられることがある。そこにあるのは理解ではなく、結果としての二次加害であり、別の形の暴力である。(略)本書を読んで浮かんだ思いがある。それは、私は弱くなりたくて弱くなったわけじゃない、ということ。そして、他人の感情や環境や人生を覗き、その一部を知ったとしても、本当の意味で交わることも重なることもない、全てはねじれの位置にあるということ。読後には、愕然とする絶望と、怒りと、散々聞き倒した世間の幻声が襲う。壊れたまま、どこまで生き続けられるだろうか」
その後、彼女がTwitterである種の人たちから「お前、トラウマがあるとか言って、前はイケメン俳優と笑顔で触れ合ってたじゃないか!」とか叩かれたわけですけど、その予言みたいになってたんですよね。これを彼女がこのタイミングで書き残した意味について、さすがに考えたくなるわけです。
「うんこツイート」の裏にある繊細さーー佐藤二朗の強迫性障害と「アドリブ嫌い」
一方の佐藤二朗さんも、ボクはインタビューもイベントもやっていて、なぜか気に入ってもらってるんですよ。酔っ払って「うんこ」とかつぶやいている小学生レベルなギャグでお馴染みだったから、最初のインタビューでボクが「佐藤二朗さんほど平和に燃えてるTwitter(現X)はないですよ」と言って。それがよっぽど嬉しかったのか、『ぽかぽか』を含めてテレビに出るとよく「吉田豪にこう言われた」って話をしてくれてたぐらいでした。それが、いまこんな平和じゃない燃え方をしていることには複雑な思いがありますよ。
今回、橋本さんの控え室に行って言わないでいいことを言ったことや、その後の対応を全て間違えていることとか、佐藤さんに問題があるのは事実です。ただ、いろんな人がネットで吊し上げるほどの悪人ではないはずなんですよ。セクハラ&パワハラ上等の巨大な敵じゃなくて、昭和のノリで現場を盛り上げようとしたただのダメなおじさんというか。本当にあの人が最悪だったら、昔から色んなところから悪評が出ているはずで、普通に現場では愛されていた人なんですよね。
彼はバラエティでのパブリックイメージとは違って、自作の映画では強迫性障害とか売春とか連続殺人とか、ずっと重いテーマを描いてきた人なんですよ。でも、そういう要素はあまり表には出さず、いつもおちゃらけていた。その裏には暗い何かがある人だったんですよね。
何よりも今回あまり語られてないのが、本人が抱えている「強迫性障害(強迫神経症)」の影響なんです。以前ボクがインタビューしたときに彼が言っていた持論が、「自分はアドリブの人だと思われるけど、実はアドリブなんて一度もしたことがない。全部監督に話を通してやっていて、突然何かをやることはない」っていうものだったんですよね。あまりにもアドリブの人扱いされるから、これはちゃんと言っておきたかったみたいで。それぐらい彼の中で演技に対する強いこだわりや強迫観念的な縛りがあったからこそ、「橋本さんサイドから演技に制限をつけられた」ってことで突然スイッチが入っちゃったんじゃないかと思うんです。さらには「アドリブでのトラブル」と報じられたことも、自分の美学と違うからこそ余計に許せなかったのかもしれない。その結果、間違った対応をし続けちゃってるわけなんですけどね。