佐賀の地、ふたたび。羽生結弦と私たち、その新しき絆の地…『REALIVE』アンコール公演決定に寄せて(1)
たくさんの「還れる場所」
帰れる場所があるというのは、いいものだ。
待ってくれる人がいるというも、またいい。
いや、たとえ待ち人あらずとも、帰れる場所はある。
なぜなら、帰れる場所というのは相対的でなく絶対的なものだ。私が帰れるから帰る。その結果がこのひとつの言葉となる。私が帰りたいから帰る、でもいいだろう。
「おかえりなさい」
良い言葉だと思う。あたりまえの言葉だが、まったく当たり前でない。それはあたりまえだがとても特別な、それこそ「おかえりなさい」と言う側にとっても絶対的な「おかえりなさい」である。
それは大勢からの「おかえりなさい」だろうか、家族からの「おかえりなさい」だろうか、たった一人からの「おかえりなさい」かもしれない。
いや、人でないかもしれない。大地や草木、あまた生き物や、それこそ故郷そのものからの「おかえりなさい」もあるのだから。
なににせよ、帰れる場所があるというのは、いい。
それはいくつあったっていい。
いくつもあれば、それはたくさんの「還る場所」とでも言おうか。
人はその原点に帰ると同時に、還るのだと思う。