「侮辱行為」と認められながらなぜ無罪なのか 法律家による中傷投稿を鈴木エイトが刑事告訴、浮き彫りになった「司法の限界」
連載「鈴木エイトが読む、日本社会の“静かな違和感”」。最終回は、9月16日に東京地裁で判決が言い渡されたばかりの、中山達樹弁護士に対する刑事侮辱事件の「無罪判決」を緊急で取り上げる。当事者として刑事告訴から公判まで対峙し、判決直後の現場から筆を執った著者。裁判所が侮辱罪の構成要件該当性を認め、異例の説諭を行いながらも違法性阻却により無罪とした司法判断の現実と限界、そして「論評の体裁」を装ったネット中傷をいかに抑止するかという構造的課題を解き明かす。
中山達樹弁護士に無罪判決 侮辱罪起訴の公判から浮き彫りになった「司法の限界」
連載最終回は、侮辱罪で起訴された法律家が無罪になった直近の事例から、司法判断の限界と如何にネット上の誹謗中傷を止めるかということについて記したい。
9月16日、東京地裁429警備法廷で今後のネット空間での誹謗中傷対応に影響を与えそうな判決が出された。
統一教会(世界平和統一家庭連合)の顧問弁護士や解散命令請求での教団側の代理人を務めた中山達樹弁護士(中山国際法律事務所/第一東京弁護士会)が、2023年にブログにおいて私に対する侮辱的な投稿を行った案件で昨年12月1日に東京地方検察庁から在宅起訴されていた刑事事件の判決宣告公判。東京地裁の高森宣裕裁判官が無罪(求刑/罰金10万円)を宣告したのだ。
中山弁護士は私以外にも統一教会の被害者である元2世信者などに対し、ブログやSNS投稿において執拗に度重なる誹謗中傷を行っていた。法律家が率先して誹謗中傷を行うことで、ネット空間における〝犬笛〟となり、教団関係者などが多重攻撃とばかりに元2世信者など教団の被害者への誹謗中傷を重ねた。そのことによって多くの元2世信者たちが声を挙げられなくなっていった。
「論評」を騙った人格攻撃 公訴事実に示された侮辱表現の嵐
これ以上、中山達樹弁護士を放置しておくべきではないと思い、2024年2月に刑事告訴へ踏み切った。だが、中山弁護士は捜査機関の取り調べや家宅捜索差押を受けても一向に誹謗中傷投稿をやめることはなく、却ってその頻度や内容は激化していった。東京地検が昨年12月1日に在宅起訴を行い、ようやく中山氏は自身のSNSを鍵アカに変更し、ブログも非公開とし、表面上ではあるが誹謗中傷投稿が収まったという経緯がある。私に対する具体的な誹謗中傷の内容、起訴状に書かれた公訴事実はここに書くのが憚られるような内容ではあるが、以下に記述する。
「いじりネット新聞で、マニア/オタク相手に独りマスターベイションするようにシコシコ書いて独り留飲を下げていた。いじり人格。おちょくり坊主。もう、いじることが決定づけられた人格」
「マスかき活動が突如に脚光を浴び、陽の目を見て、もてはやされた。だから『あぁ、このまま気持ちよくマスをかいていればいいんだ』と勘違いした」
「マスかきブログで気持ちよくマスをかいているいじり活動家・鈴木エイト」
これらの文言は「ペンネームのジャーナリストは存在してはならない」というタイトルの記事内にあり、一見論評の体をとって書かれたものだが、その中身は私の人格を貶めることを目的としたものとしか思えなかった。
中山被告人は公判での被告人質問での供述では私への謝罪と反省を述べていたが、有罪となることを逃れようとする口先だけのものとしか思えなかった。現に中山氏は教団サイドが2023年以後に私を提訴し「エイト三部作」と呼ぶ私へのスラップ訴訟の全ての代理人を今も務めている。直接の謝罪もなく真摯な反省はまったく見られない。
「公正な論評ではない」検察の求刑10万に対し「正当な批判」と無罪を主張した弁護側
弁論手続きにおいても検察が論告で当該記事について「鈴木氏の人格の非難に当たり、社会的評価を下げることは明らか」と主張し「公正に論評したとはいえない」として罰金10万円を求刑。一方、弁護人は「侮辱の意図はなかった」と無罪を主張、ブログの当該記事の内容も「鈴木氏の社会的評価を下げることはあり得ない」と主張し、「記事全体の文脈を無視して一部の表現を切り取り犯罪とするのはおかしい」などと熱弁をふるった。
さらに「仮に社会的評価を下げる表現だったとしても、著名なジャーナリストである私への正当な論評である」と強調。中山氏は記事内では私をジャーナリストとしては認めないという文脈でこきおろしながら、こういった弁明を平然と行うことには呆れた。また、あくまで「人格否定ではなく取材や表現行為への批判だった。そのため違法ではない」と抗弁していた。
9月16日の判決宣告公判で裁判官はまず、本件が侮辱罪の構成要件に該当すると認定した。
「本件投稿は鈴木エイト氏の社会的評価を低下させる危険性のある投稿といわざるを得ず、侮辱罪の構成要件に該当する」
そして、侮辱罪で有罪とするか無罪にするかの線引きをこう指摘した。
「論評等の表現行為が公共の利害に関する事実に掛かり、その目的が公益を図ることにあり、その前提が真実出る証明があった場合、論評が表現行為全体から実質的に人身攻撃と評価せざるを得ない場合、ないし論評としての域を逸脱するものではない限り、違法性が阻却される」