AIPS「100年間のベストアスリート」選出・・・時代のアイコン、マイケル・ジョーダンと羽生結弦(2)

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このアイコンが好きだ
ここで思うのは「エア・ジョーダン」のシルエットと同様、羽生結弦のシルエットである。
みなさんも記憶にあるというか、お家にある方も多いと思うが、味の素のキャンペーンにおける羽生結弦のシルエットの絵皿のことだ。「羽生結弦選手シルエット入りオリジナルプレート」の「ギョーザの日キャンペーン」における拳を突き上げるこの商品シルエット、私はとても好きだ。もちろん「おうち中華キャンペーン」など別のシルエットもあるのだが、私は「エア・ジョーダン」同様の黒一色、このアイコンが大好きだ。
個人的な好みなのでご容赦願いたいが、直近だと写真家の能登直による氷上に片膝を、そして手をつくシルエットの「羽生結弦と仙台市展」グッズに描かれたアイコンも好きだ。
人の勇気と自由、その躍動を象徴する「エア・ジョーダン」とするなら、いずれも羽生結弦の栄光と矜持、そして万物への慈しみを象徴するアイコンに思う。そうしてアイコンは、いずれシンボルとなる。ジョーダンのように。
記号論としての「シンボル」を芸術哲学に発展させたランガーはこう語る。
〈それら(アイコン)はあなたの表象の中にも含まれている。だから画像は全て、それぞれのやり方で、あなたの表象に応答しているのである〉※1
〈或る対象についての全ての妥当な表象化が共有しているものが、その対象の概念(コンセプト)である〉※1
商業を超えた先にあるもの
そう、アイコンはその対象のコンセプトも内包する。躍動する人とナイキという「エア・ジョーダン」であり、復興への想いと氷上に対する愛という羽生結弦のシルエットである。これがグッズ化されるということは商業を超えた先にあるもの、ということになる。
もちろん商業であることは何ら問題ない。むしろ商業であることもまた自由を象徴するものだ。アスリートの生活を支える糧であるだけでなく、もっと深い意味での自由がそこにある。これをわからない人は残念ながらとても多い、やれブランド商法だの、金儲けだの。自由とは商業としての自由もあり、それもまた人のダイナミズムである。
そうした自由をアスリートにもたらした、その開拓者もまたマイケル・ジョーダンである。
ティーンネイジャーやビジネスマンの支持
そんな若き日のジョーダンも、ナイキとの契約には大きな問題を抱えていた。
ジョーダンは大学時代にコンバース(当時のNBA公式)を履き、個人的にはアディダスを好んだ。
そもそも当時のナイキはいまほどの認知はなく、ましてナイキの要求は派手なナイキのバッシュ(バスケットシューズ)を履くことだった。いまでは当たり前の派手なバッシュだが、当時のNBAでは白か黒が51%以上なければならなかった。
そんなナイキの用意したバッシュは赤。それを履くことでジョーダンはNBAに罰金を払い続けなければならなかった。しかしナイキは罰金をすべて建て替えるから履いてくれと願い出た。
ジョーダンはその「反逆」としてのナイキ「エアフォース1」に賭け、快諾した。
これが現在では当たり前のカラフルなバッシュにつながるわけだが、そのエアフォース1を履いたことのある、履いている人も多いと思う。ジョーダンのこの行動は、社会の規則に縛られ続けるティーンネイジャーやビジネスマンに支持された。
また、ジョーダンは1990年に民主党のアフリカ系アメリカ人議員の選挙に協力して欲しいと頼まれたが断った。そのときの言葉が「共和党員もシューズを買う」であった。「アリならそんなことは言わない」「ジョーダンは誰かを助けることよりも靴の売上という商売のためのイメージのほうが重要」という心無い声がジョーダンに浴びせられた。
しかし、この中道精神こそがスポーツビジネスをより善き方向に導いた。分け隔てなく商品を広告できる存在となった、その端緒こそジョーダンであった。