「頑張れば報われる」は通用しなかった……元吉本マネージャーが海外で学んだ“自分をプロデュースする”働き方
お笑い芸人のマネージャーとして4年半働いた後、ワーキングホリデーで海外へ渡った樺澤まどかさん。海外では、日本で培ったマネージャーとしての経験が役立つ場面もあった一方、その経験が通用しない場面にも直面したという。海外生活を通じて気づいた、“自分をプロデュースする”働き方の重要性について、樺澤さんが語る。
みんかぶプレミアム連載「樺澤まどかのロンドン卑屈日記」
マネージャーはプロデューサーでもある
私は日本で、お笑い芸人のマネージャーとして4年半ほど働いていた。
マネージャーの仕事とはどのようなものかを一言で説明するのは難しいけれど、かなりざっくり言ってしまえば、「担当するタレントが仕事をしていくために必要なことを、裏側で何でもやる仕事」とでも表現できるだろう。
仕事の依頼を受けて内容やスケジュールを調整したり、テレビやイベントなどの現場に同行したり、制作スタッフや関係者との間に入ってやり取りしたり。ほかにも、ライブの企画・運営、グッズの考案、仕事の条件の調整、ギャラの交渉といった仕事もしていた。
上司からはよく、「単なる調整役ではなく、プロデューサーとしての自覚を持つように」と言われていた。目の前に来た仕事を滞りなく進めるだけではなく、担当するタレントを今後どう売っていくのか、どんな仕事につなげていくのかを考えることも、マネージャーの役割だった。
担当するタレントによっても、その時々によっても、必要な仕事は変わる。だから、「ここからここまでがマネージャーの仕事」と明確に線を引くことは、とても難しい。
海外で生きた“ギャラ交渉”の経験
私は、マネージャーという仕事について何かを語れるほど、立派なマネージャーだったわけではない。ただ、少し特殊な職種であり、特殊な経験をしてきたことは間違いない。そんな経験は、海外で暮らし、働くうえでも、多少影響を与えているのだろうなと感じることがある。
海外でマネージャー経験がそのまま生きた部分もあれば、日本で身につけた働き方があまり通用しなかった部分もある。
まず、生きたこととして挙げられるのは、初対面の人とのやり取りへの抵抗感が少なかったことだ。
マネージャー時代は、知らない人に電話やメールをしたり、現場で質問したりすることが日常だった。海外生活では、家探しや仕事探しなどで初対面の人に連絡を取り、話す機会が多かったが、英語で話すこと自体は難しくても、「知らない人とやり取りをすること」にはあまり抵抗がなかった。このおかげで、何とか乗り越えられた場面は多かったように思う。
意外だったのは、ギャラ交渉の経験が役に立ったことだ。
マネージャー時代は、タレントの仕事の報酬が妥当ではないと判断した場合、金額交渉を行うことがあった。そのときには、ただ一方的に高い金額を要求するのではなく、実績や仕事内容を踏まえ、「なぜこの金額が妥当なのか」という根拠を示して交渉する必要がある。
私がオーストラリアやイギリスで経験した仕事では、採用時に時給を交渉する場面が何度かあった。過去の経験やスキルを伝え、自分にはどのくらいの価値があるのかを自分で説明しなければ、提示された条件のまま働くことになる。
また、働き始めた後でも、仕事内容に対して報酬が見合っていないと感じれば、時給アップを交渉することも珍しくなかった。その場面でも、マネージャー時代のギャラ交渉の経験が生きていたように思う。