米軍基地が去ってなお売春街として栄え続けた町・アンヘレス。かつてのパッポンを彷彿とさせるこの暗黒街で、男が一目惚れした相手の正体
1980年代から90年代にかけて、アジアの歓楽街は熱気と混沌、そして甘美な腐臭に満ちていた。高度経済成長のあぶく銭を握りしめ、男たちは夜の底へと沈んでいった。これは、かつて暗黒街に沈み、熱気と混沌に溺れながら「愛」を探し求めた男の回想録である。
「ブラックアジア」「ダークネス」でカルト的な人気を博す作家・鈴木傾城氏による連載「アジアの暗黒街で愛を探した男」第19回――。
<前回までのあらすじ>
体調不良とHIV感染への恐怖に苛まれた筆者は、コルカタを離れ、バングラデシュの暗黒街へ向かった。そして、硫酸による傷を負った女性と出会い、警察に拘束され金銭を要求されるなど過酷な体験を重ねる。帰国後のHIV検査は陰性だったが安堵は続かず、次なる地・フィリピンへ向かう決意を固めたのだった――。
「お前はヤクザなのか?」
成田からフィリピン・マニラ首都圏にあるニノイ・アキノ国際空港に到着したのは夜だったので、そのままタクシーに乗って市内に入った。
タクシーの運転手が私が日本から来たというのを知ると、「お前はヤクザなのか?」と、なぜかうれしそうに聞いてきた。
私が「違う」と言うと、「フィリピンにはヤクザがたくさん来る。だから、ヤクザは有名だ。彼らのタトゥーはかっこいい」みたいなことをしきりに話した。それを聞き流しながら、私はエルミタ地区の適当な安ホテルに行ってもらった。
エルミタ地区を選んだのは、かつての歓楽街の残滓を見たかったからだ。昔、この地域はフィリピン最大の暗黒街でゴーゴーバーやナイトクラブが林立し、アルコールとセックスとドラッグに満ちあふれていたのだ。
ところが、1990年代に当時の市長が「街を浄化する」と叫んで、次から次へとゴーゴーバーやナイトクラブを閉鎖させてしまった。暗黒街は、どこの国でも目立てば目立つほど消されていく。フィリピンもその例に漏れなかった。
マビニ通りをひとりでほっつき歩いてみたが、たしかに巨大歓楽街だった頃の絢爛さはほとんど何も感じなかった。
夜中もやっているコンビニのような店の前に数人の背の高い女性が立っていたので、眺めていると、そのうちのひとりが私に興味を示してやってきた。近くで見ると、一瞬で彼女がバクラ(レディボーイ=ニューハーフ)であるのが分かった。
売春地帯なのに「タダでもいい」
化粧が雑でタイのレディボーイのように洗練されていない。また、女性ホルモンも飲んでいないようで、男性的な特徴を色濃く残していた。
そのバクラは私に手を回して「ブロージョブしてあげる」と言うので断ると「私はブロージョブが大好きなのでタダでもいい」と言い出す。歓楽街で「タダでいい」なんて言う人間は初めて会った。ただ、私は本当にレディボーイには関心がないので、ていねいに断った。
その会話のついでに「L.A.カフェ」がどこにあるのかを聞くと、彼女は親切に途中まで道案内してくれた。このときも「あなたはヤクザなの?」と聞かれた。
フィリピン人から見ると、夜中にひとりでふらふらしている日本人はみんなヤクザに見えるのだろう。それだけ、ヤクザとフィリピンが密接な関係にあるというのを私はフィリピン初日で知ることになった。
私が向かっていた「L.A.カフェ」は、マビニ通りから外れた場所にある。ここは市長の浄化作戦の中でもなんとか生き残って、マニラでも有名な売春バーとして機能していた。タイ・バンコクで言うと、スクンビット通りの売春カフェ「テルメ」に近い。
彼女は「バクラはL.A.カフェに入れない。そういう決まりになってる」と言うので、途中で別れた。そのあと、私はひとりで目立つ看板のL.A.カフェに入ると、そこは満員電車並みにフィリピーナ(フィリピン女性)がひしめいていた。爆音のダンス・ミュージックが鳴り響く中、100人以上の女性がいたと思う。
女性たちがいっせいにこちらを見て、私を上から下まで値踏みするのが分かった。
売春バーにカネじゃなくて結婚を求めている
マニラにいるあいだは、夜になると売春バー「L.A.カフェ」に入り浸った。ここでは若い女性から中年の女性、美しい女性からそうでない女性、積極的な女性から場に慣れていない女性まで、本当に多種多様な女性がいたので飽きなかった。
最初、すべての女性が売春に関しては、プロかセミプロなのかと思った。実際はそうではなかった。友だちに連れられて、ただ様子を見に来ているだけの女性もいたのだ。ここは、売春の世界に入るための訓練場としても機能していた。
私がここで知り合って意気投合した女性のひとりは、L.A.カフェの売春一本で生きているプロの女性だった。彼女が言うには「外国人の男と知り合って結婚しようと考えている女の子もいる」という。
「カネじゃなくて結婚を求めているの?」
「うん。結婚相手を探している」
私が言うのもおかしな話だが、売春バーで知り合った男と結婚して幸せになれるとは限らない。それでも「結婚」を望むフィリピーナがいるのだ。なぜなら、結婚して先進国に住むことで貧困から抜け出せる可能性があるからだ。
フィリピンで暮らし、現地の男と結婚しても貧困から抜け出せない。夢も希望もない。だが、外国人の男と知り合って結婚に至れば、先進国で夢のような暮らしが待っている「かも」しれない。
考えてみれば、若く、それなりに美しいフィリピーナであれば、宝くじで大金を当てるよりも確率は高いようにも思える。彼女たちは幸せなんか求めていない。求めているのは、貧困からの脱却だった。
後日、私はフィリピン最大の貧困地区と言われているトンド地区に行ってみた。狭い空間に細い路地が迷路のように続き、排水が悪いので足下がぬかるんでドブやカビのニオイが充満している。
昼間から小学校程度の年齢の子供たちがあっちこっちにいる。大通りには、ゴミ箱を漁っている子供たちの集団もいるし、上半身が裸のまま路肩に寝そべっている子供の姿もある。
このようなスラムに住む女性の一部も、L.A.カフェに流れて来ているのだろう。先進国に住む男との結婚を夢見て……。
「わかめ酒」をやっている女性もいた
フィリピンは気に入った。それで、2005年から2006年はフィリピンと日本、フィリピンとタイ・パタヤを行ったり来たりして過ごすのが私のルーティンになった。
当初はマニラをメインにしていたが、やがて「フィリピンのパタヤ」と呼ばれるパンパンガ州のアンヘレスに向かうようになった。アンヘレスは、マニラから北へ約80キロの地点にある歓楽街である。
マニラのマビニ通りのゴーゴーバーは強硬な摘発で壊滅してしまったが、地方のアンヘレスは逆にマビニ通りが壊滅したことで隆盛になったという皮肉な現象が2000年代前半から起きていた。
なぜ、マニラから遠く離れたこのエリアにゴーゴーバーまみれの歓楽街ができたのかというと、米軍のクラーク基地が近くにあって、若い米兵の娯楽が必要だったからである。若い兵士はセックスを求めているし、カネ払いもいい。そこに歓楽街が生まれるのは必然でもあった。
この基地は1991年のピナツボ火山噴火で甚大な被害を受けたので米軍は撤退したのだが、ゴーゴーバーには多くの観光客がやってきたので、むしろアンヘレスの隆盛はそこから始まったとも言える。
私がアンヘレスに足を踏み入れたとき、思い出したのは1980年代後半のタイ・バンコクの歓楽街パッポンである。
私を堕落させたあのパッポンは、2005年にはゴーゴーバーは隅に追いやられ、観光客が土産物を漁るつまらない場所になってしまった。しかし、アンヘレスはゴーゴーバーがメインで「売春地帯」の雰囲気が満ちあふれている。
パッポンが観光地に変質していく中で、私はタイから離れて東南アジア中を流浪するようになったのだが、アンヘレスではふたたび堕落の原点に戻ってきたような懐かしくもうれしい気持ちになったのだった。
かつて、パッポンのバーには過激な店も多くあったように、ここアンヘレスもまた過激な店がいくつもあった。気に入った男に性器を見せつけ、男の隣に座ると足を閉じて陰毛の下にくぼみを作り、そこにビールを注いで男に飲ませる「わかめ酒」をやっている女性もいた。
男が劣情で我慢できなくなると、2階の空き部屋に連れて行って、そこでセックスして戻ってくる。そんな堕落した空間があることに、私はすっかり嬉しくなった。それで、アンヘレスに長居を続けた。
誰も指名しない黒人ハーフの女性に一目惚れした
アンヘレスで一目惚れしたフィリピーナがいた。ルビーという名前の女性だったのだが、彼女は黒人とフィリピン人のハーフだった。しかし、肌の色も、顔つきも、肉感も、どう見ても黒人のものだった。
ここは基地の街なので、白人ハーフの女性もいれば黒人ハーフの女性もいる。白人ハーフの女性は非常に人気があるので、すぐにどこかの金持ちの男が身請けして歓楽街からいなくなってしまう。
ところが、黒人ハーフの女性はあまり人気がないようで、歓楽街では普通の客ですら取るのが厳しそうだった。
私はもともと褐色の肌の女性が大好きだったのだが、インド圏でずっと褐色の女性ばかりを見てきたせいか、むしろ「褐色の女性の方がいい」というところまで女性の嗜好が変わってしまっていた。
そのせいなのか、ゴーゴーバーでルビーを見た瞬間に、まったく他の女性とは違う存在感に圧倒され、惹かれ、一目惚れしてしまった。
彼女は自分の肌の色に劣等感を持っていたようで、私が彼女に「かわいいね」と言うと「ボラボラ!(お世辞でしょ)」と取り合わなかった。しかし、私が本当に彼女に惹かれているのに気づくと、彼女も私に好感を持ったようだった。私たちはすぐに意気投合した。
彼女は本当に情熱的で、今まで会ったどの女性とも違っていた。売春地帯では、ほとんどの女性は出会った男とは一定の距離感を持って接している。あくまでも金銭取引の結果としてセックスをしているという立場を崩さない。
ところが、ルビーはまるでそういう距離がなかった。最初から恋人だったかのように、接してくれた。抱きついたら離れず、キスも深く、長かった。部屋では服を着ていない時間の方が多かったと思う。
容姿で一目惚れしている上に、恋人のように接してくれるのだから、これ以上幸せなことがあるだろうか。私はすっかり彼女に夢中になってしまった。ところが、たった数日で私は事態が自分の予期しないことになりつつあるのを感じた。