東大王・河野ゆかりの幼少期は「成績平均以下」母が徹底した叱り方と理屈のルール

神戸海星女子学院の小中高を経て東京大学医学部医学科へ進み、現在はスイス・ジュネーヴ大学大学院で学ぶ河野ゆかり氏。経歴だけを見れば、幼い頃から勉強漬けだったと思う人も多いだろう。しかし本人の口から語られたのは、まったく逆の子ども時代だった。
成績はいつも平均以下、机にもろくに向かえなかったという河野氏を変えた、親の叱り方とは。全4回の第1回。
みんかぶマガジン連載「天才たちの育ち方」
成績はいつも平均以下、机に向かっていられない子どもだった
「小学校は本当にやんちゃで、怪我ばっかりで。成績ももちろん良くなかったです」と河野氏は自身の幼少期を振り返る。勉強が好きだったわけでもなく、じっと座っていることすら苦手な子どもだったという。両親は共働きで、学校が終われば学童に通う生活だった。
「学校の後も学童に通ったりしていて、いい意味でも悪い意味でもあまり親の監視下にはなかったですね。小学校の頃の習い事は水泳、バレエ、ピアノ、ちょっと変わったところでいうと速読とか、あとそろばんや習字も。毎日基本何かしらの習い事が入っていて、それが当時は結構嫌だったんですよね。ずっと漫画を読んだりテレビを見たかった子どもだったので」
それでも、習い事の一つである速読が、後に思わぬ形で役立った。音声を流しながら文章を目で追うという一風変わった訓練だが「特に大学受験に向けた勉強では、長い英語を読むのがそこまで不安じゃなかったかもしれないです。現代文もですかね」と、当時の経験が確かに活きていたことを明かす。
「飽きるまでやっていた」。ゲームもテレビも禁止されなかった意外な結果
勉強のルールだけでなく、遊びに関しても厳格な制限は設けられなかった。子どものゲームやスマホの扱いに頭を悩ませる親は多いが、河野家は特に明確に禁止していたわけではない。
「親が忙しいのを良いことに、好きなだけやっていました」
その結果、ゲームは本人がある時期から自然とやらなくなったという。
「やるなと言われるとやりたくなっちゃうんですよね」と河野氏が言うように、縛られると人はかえってそれに執着しやすくなるというのは、よく知られた心理だ。河野家はルールで縛ったわけではなかったが、気付けば子ども自身の興味が自然と他に向いていたのだ。
すぐに結果が見えなくても口を出さずにいられるかどうかは、実は子ども以上に親の忍耐力が試される部分でもある。目先の心配を我慢してでも子どもを信じ切れるかどうかが、家庭ごとの分かれ目になるのかもしれない。