なぜ「経理のパート主婦」が年商3,000万を稼げたのか。過去のスキルを金脈に変えて実利を生み出すスモールスタートの極意
「自分が輝ける場所をどこにするかという設定を決めて、仕事を探すんですよ」──独自の生存戦略によって、ハンドメイドの世界で圧倒的な輝きを放ち続ける女性がいる。ベビー・キッズ向けの出産祝いやパーソナルギフトの企画・デザイン・運営を手がけ、現在は法人化を果たした「みぃ」氏だ。
美術大学でグラフィックデザインを専攻し、新卒で飛び込んだブライダル業界では深夜まで働く激務を経験。結婚や妊活を機に、派遣社員、あるいは融通の利くパートタイマーへと働き方をセーブしていった彼女。しかし、我が子を保育園に預けた最初の日に突きつけられた「強烈な罪悪感」と「自分が望んでいない業務への葛藤」が、彼女の眠っていたクリエイターとしての魂を再び呼び覚ますことになる。
本稿では、かつてインハウスデザイナーとして活躍するも、妊活のために働き方を変え、仕事より母親業を優先した働き方を選んだみぃ氏が、どのように年商3,000万円を稼ぐまでになったのか、その転身のドラマを徹底取材。
「自分がやりたい仕事」を模索し、ハンドメイドマーケット「minne(ミンネ)」でスモールスタートを切るまでの、マーケティングを徹底した戦略的なロードマップをみぃ氏に語っていただいた。
みんかぶプレミアム連載「フリーランスの稼ぎ方大全」
目次
激務の正社員から「週3日の経理パート」へ。キャリアを諦めた元デザイナーの妥協と限界
私はかつて、美術大学でグラフィックデザインを専攻していました。就活のとき、同級生たちが大手の広告代理店や華やかなデザイン事務所を目指すなか、私は「BtoC」向けにデザインを生かせる仕事を探していました。
企業を相手にデザインを提供する「BtoB」よりも、自分が作ったものが直接購入者に届く「BtoC」の仕事のほうが、自分の性格に向いているかもと漠然と考えていたのです。同級生は自分よりスキルやセンスがある人たちも多かったので、「もし広告代理店に入社したとして、将来、私がこの人たちと競って出世していくのは、自分の性格や能力では難しいだろう」と冷静に判断した結果でもあります。
そこで新卒として就職したのが、ブライダル業界の商品ない。休みはほとんどなく、深夜まで作業を続けるのが当たり前の毎日。それでも、私はこの仕事が本当に大好きだったんです。自分のアイデアが形になり、一生に一度の結婚式という舞台で誰かを幸せにする。その手応えが、私の生きがいそのものでした。
転機が訪れたのは、社内結婚をしたタイミングでした。私は不器用な性格なので、激務の正社員として働きながら、家庭をバランスよく両立させることは絶対に無理だと直感しました。夫も同じようにブラックな働き方でしたから、「どちらかが家庭を支えなければ、家が崩壊する」と思い、私は自然と身を引く形で会社を辞め、新たな会社で派遣社員としてスタートしたのです。
その後、妊活を始めることになり、残業が多くて体に負担のかかる派遣社員の仕事も辞めました。ちょうどそのとき、かつて新卒で正社員として働いていたブライダル商品開発の会社から声がかかります。パートとして働けることになり、元の会社に戻ることにしました。
かつて大好きだったデザインの仕事ができるとワクワクしていましたが、正社員とパートでは任される仕事が違います。パートは、正社員時代のようにすべてを任せてもらえるわけではないという、理想と現実にギャップがあったのです。「今は家庭を優先する時期だから、自分のやりたいことができなくても仕方がない」──そう自分に言い聞かせ、蓋をして過ごす日々が始まりました。