「小娘に何ができる」創業66年の養殖会社の娘が、家業に入る前に銀行員になった理由
熊本県天草市御所浦町の離島で66年続く養殖業、株式会社ふく成。取締役の平尾有希氏は、その3代目にあたる。ただし跡を継ぐまでの道のりは一直線ではなかった。跡継ぎ候補として育ちながらその道を拒んで島を出て、百貨店で働き、家業に戻る前には銀行に就職し、28歳で余命半年を宣告された。それでも経営の第一線に立ち続けてきた平尾氏に、その原点を聞いた。全4回の第1回。
みんかぶマガジン連載「バリキャリ女性社長のワークライフ・ルール」
離島で育った少女が、知らないうちに受けていた「経営の英才教育」
平尾氏が育ったのは、熊本県天草市御所浦町の横浦島。同級生は16人しかいなかった。
「幼稚園から中学校を卒業するまで、ずっと同じクラスなんです。兄弟みたいなもので、1つ上や1つ下の子とも一緒にワイワイ遊んでいました。おやつは海に潜って獲るアワビだったり、山に行けばキイチゴやウベがあったり。それを取って、秘密基地でみんなで食べていましたね」
家業を始めたのは祖父だった。66年前、漁師をしていた祖父が「この先、天然の魚は獲れなくなる」と読み、真鯛の養殖に切り替えている。46年前には父が熊本県で初めてトラフグの養殖を手がけた。島の中で二代にわたり事業を広げてきた家である。
3姉妹の長女。狭いコミュニティの中で、平尾氏は当然のように跡取りとして扱われた。
「島の人たちからは、お婿さんをもらって家業を継ぐんだね、とずっと言われていました。休みの日も、祖父や父がお客さんのところに行くとか、銀行に行くという時に、私はほとんど連れて行かれていたんです。知らず知らずのうちに経営のレクチャーを受けていたのかもしれません」
もっとも、本人はその期待を喜んでいなかった。「私はそれが嫌だったんですよ。女性でも自分の力で何かをやってみたい」その気持ちが、島を出る決断につながっていく。
県外に出るのは言語道断。折れない父を動かした、高校教師の一手
中学卒業と同時に島を離れ、寮生活を送りながら高校に通った。父たちは高校を卒業すれば島に帰ってくると考えていたが、平尾氏の希望はまったく違う方角を向いていた。
「ろう学校の先生になりたかったので、教育の道に進みたいと思って、福岡の大学を受けたいと伝えたんです。そうしたら父から、県外に出るのは言語道断だと言われてしまって」
膠着状態を動かしたのは、高校の教師だった。県外に出たい娘と、帰ってきてほしい両親。その間を取り持つ形で、一つの落としどころを提示した。
「経済の大学なら、後々帰ってきた時に経営の勉強が役に立つんじゃないかと、先生が親を説得してくれたんです。教育学部ではないけれど、経済を学ぶという名目で親元を離れて、そこでもう一度考えなさいという形で送り出してもらいました」
北九州の短大で経済を学び、卒業と同時に帰島を求められたが、平尾氏は帰らなかった。自分で就職先を決め、福岡・天神の百貨店でアパレル販売の職に就く。
「ほとんど勘当されたような状態でした。こちらの話も聞いてもらえませんでしたし、アパレルの仕事は盆も正月も忙しかったので、帰らないと言ったら本当に帰りませんでしたね」